行動し、記録する勤番たち

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 しかし、近年、江戸勤番の江戸日記が次々と紹介され、暇をもてあます野暮な侍といった紋切り型の勤番イメージは払拭されつつあります。江戸中を歩き回り、見て、食べて、飲んで、それを記録する行動的な姿が確かめられたのです。その代表格が幕末期2度にわたって江戸詰めを経験した紀州藩士、酒井伴四郎(さかいばんしろう)でした。彼は赤坂紀ノ国坂の同藩中屋敷を拠点としてさまざまな江戸を体験していきます。たとえば万延元年(1860)6月17日には芝にある江戸名所愛宕山を訪れ、次のように書き記しています。

図5-6-5 酒井伴四郎江戸日記の表紙と本文(湯屋・部分)
万延元年『江戸江発足日記帳』 東京都江戸東京博物館所蔵

11月11日の記録を見ると、酒井伴四郎も湯屋の2階で同僚たちと囲碁を打ち、酒を酌み交わしている。鳥鍋と酒2升で、しまいには湯屋の主人と二階番の娘も加わり、午前0時ころまでの酒宴が続いた。


 
 愛宕山へ参詣し、世間を見渡すと、江戸の三分の一を見渡すことができる。その広さといったら、言葉にも筆にも尽くしがたい。それより増上寺へ参詣致し、その広さも寺の内とは思えないほどであった。
 
 徳川御三家のひとつ紀州藩の城下町和歌山も全国的にみれば大きな城下町のはずですが、愛宕山から見渡した天下の城下町江戸の広大さに度肝を抜かれています。また徳川将軍家の霊廟もあった浄土宗大本山増上寺の威容にも驚きを隠していません。
 こうした彼の記録からは、江戸の名所、見世物、飲食、その他習俗全般を知ることができます。勤番武士たちには国元の生活・文化と江戸のそれとを比較する眼差しが自然と備わっています。つまり彼らの記録は、江戸と地方の比較文化論として貴重な証言を今日に残してくれているのです。
(西木浩一)