大名屋敷で普請が繰り返されたことは先に述べたとおりですが、普請の前には祭祀がおこなわれていました。その代表的な例に、長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡検出の地鎮遺構があります。この遺構は長辺91cm、短辺63cm、深さ15cmの土坑で、地鎮祭に用いられたかわらけ(土器皿)18点・永楽通宝3点(金銭2点・銀銭1点)・寛永通宝7点(銅銭)・輪宝1点をともなっていました(図5-7-10)。長州藩毛利家は麻布の屋敷地を寛永13年(1636)に拝領していますが、寛永通宝の年代観から、拝領後、間もないころにおこなわれた地鎮祭の跡と考えられています。
大名屋敷ではしばしば祝儀・饗礼(きょうれい)や接待にともなう宴が催されました。仙台藩伊達家屋敷跡遺跡出土の50枚を超す磁器大皿や、近江水口(みなくち)藩加藤家屋敷跡遺跡で出土した組み物の磁器変型染付小皿などは、こうした折に使われた器物かもしれません。その他、鍋島焼、薩摩焼あるいは肥後系陶器など、国元との関わりを示す遺物もみられます。肥前佐賀藩鍋島家屋敷跡遺跡の発掘調査は、溜池端にあった同家中屋敷が、献上や贈答用の鍋島焼の保管場所となっていた可能性を示しています。
(髙山 優)
図5-7-7 地下室
写真提供:東京都教育委員会
図5-7-8 脇坂家屋敷 漆器・椀
写真提供:東京都教育委員会
図5-7-9 脇坂家屋敷 塵芥溜め出土の陶磁器・土器
写真提供:東京都教育委員会
図5-7-10 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡検出の地鎮遺構(上)と地鎮具(下)
写真提供:東京都教育委員会