名刹増上寺の成立

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 浄土宗の大本山、三縁山広度院増上寺。もとは真言宗光明寺といい、江戸麹町あるいは平河町周辺等と推定されている貝塚という場所に所在しました。酉誉聖聡が聖冏(しょうげい)に帰依して浄土宗に改宗し、明徳4年(1393)、増上寺と改名して建造物を再建したとされます。念仏布教の拠点であると同時に、次第に学問所としての基礎を固めていきました。このようにすでに中世江戸の中心寺院として存在していた増上寺ですが、徳川家康(1542~1616)と時の住職存応(ぞんのう)(1544~1620)との師檀関係の成立を契機に近世寺院としての発展を遂げていくことになりました。
 慶長3年(1598)、江戸城の堀や市街の整備に伴う寺院移転の一環として、増上寺は現在の芝に寺地を移転しました。この後幕府による普請によって同16年ごろまでには、三門、本堂、経蔵、方丈などの伽藍が整い、同18年には寺領1,000石を幕府によって公認されています。