増上寺の機能と特質

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図5-9-2 『三縁山志』1・2(加工)
東京都公文書館所蔵
元和10年(1624)のものとされる増上寺の様子。
慶長年間の普請により伽藍の基本的な要素は完成している。


 
 将軍家=公儀の帰依を受けた特別な寺院としての増上寺は、近世寺院一般とは異なる3つの特質を帯びることになりました。
 第1に、増上寺は浄土宗の僧侶養成機関のセンターでした。浄土宗では関東一円の有力な18か寺を「十八檀林(じゅうはちだんりん)」とし、僧侶の資格を得るにはここで学問・修行をするというシステムが作られていました。増上寺はその首座としての位置を占め、およそ3,000人の「所化衆(しょけしゅう)」を抱えており、彼らが居住する学寮が100棟前後も存在したのです。
 第2に、総録所(そうろくじょ)としての機能を果たしていました。幕府・寺社奉行からの命令伝達のため、各宗派には触頭(ふれがしら)が設置されましたが、浄土宗ではこの触頭を総録とも称しました。増上寺はそれらの総録を統括する存在として総録所と呼ばれています。
 そして第3に、将軍家の菩提所としての役割を果たす存在でした。
 歴代将軍は増上寺と上野寛永寺の2つの寺院を菩提所としていました(表5-9-1)。いずれの寺院の場合も、将軍家霊廟の維持・管理、法要をはじめとする儀礼への対応が寺務の中で大きな比重を占めるようになっていきました。

表5-9-1 歴代徳川将軍と葬地