表5-11-1は江戸時代におこなわれた2つの網羅的な神社調査をもとに現在の港区内に所在していた神社をまとめたものです。調査の1つは宝暦9年(1759)に幕府がはじめて全国神社調査を実施したときのもので、42の神社が書き上げられていました。もう1つは19世紀に入り幕府が本格的に取り組んだ地誌編纂事業の一環として江戸の寺社を調査した成果をまとめた『御府内備考続編』によるものです。こちらでは33の神社を確認することができます。寺社奉行支配の正式な神社だけでも実に数多く分布し、それぞれが氏子町々と周辺の武家なども含めた信仰の対象となっていました。
ところでこの表には、神社を支配・管理するのは誰かを確認するために神主と別当(べっとう)という欄が設けられています。現在では神社には神主さんがいるのが当たり前ですが、表を見ると多くの神社では別当のみが存在し、一部の大社では別当と神主が両方存在しています。別当、別当寺というのは神社の祭祀や支配権などをもった寺院のことで、明治初年の神仏分離政策によって神社から仏教的色彩が排除される以前には、神社の担い手は神職ばかりではなく、僧侶や修験が別当として神社を管理することが少なくなかったのです。
表5-11-1 現在の港区域に所在した江戸時代の神社
図5-11-2 氷川明神絵図(「江戸城内并芝上野山内其他御成絵図」・部分)
国立国会図書館デジタルコレクションより転載
将軍の参詣に際しての順路や警備位置を確認するために作成された地図群の中の1枚。絵図の右上、南側に表門があり、ここから入って左側の階段を上り鳥居をくぐって社殿に向かうというのが参拝順路だった。