現在の赤坂氷川神社(赤坂六丁目)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)の三神を祭神とし、その創建は天暦5年(951)と伝えられています。もっとも創建の地は現在地とは異なり、今の元赤坂二丁目、赤坂御用地・迎賓館のあるあたりで、近世初頭には一ツ木村と称された場所でした。江戸時代、寛永9年(1632)に紀州藩中屋敷が置かれた付近に当たります。のちに8代将軍となる徳川吉宗は、紀州藩主に就任以来この中屋敷に住み、9代将軍となる徳川家重はここで出生しています。そのため吉宗・家重は屋敷近くにあった赤坂氷川社を産土神(うぶすながみ)と認識していました。
このことを背景にして、吉宗は享保14年(1729)9月、赤坂氷川社に対して社領200石、社地4,930坪を寄進し、赤坂今井台へ移転を命じました。以降、幕府の意向によって整備された、日吉山王権現社・神田明神社に次ぐ格式を有する神社として引き継がれていくことになります。
赤坂氷川明神には神社の祭祀や管理などの支配権をもつ別当寺院として大乗院が付属しており、境内東側に410坪余を占めていました。この大乗院の住職のほか、僧形で祭祀・読経・加持祈祷を行う社僧がおり、さらにこれとは別に神職に当たる社人の斎藤右膳が神社に奉仕していました。