町の運営は本来家持(居付地主)によって担われ、五人組ごとにその月の代表が選ばれて町政を担当する月行事(がちぎょうじ)によりおこなわれていました。しかし江戸の町では不在地主が多く、また自身の町屋敷に居住する家持の中にも管理人として家主を雇う者も多くなると、町政の運営主体は家主中心となり、月行事も家主が交代で務めるようになりました(図5-13-2)。
図5-13-2 『藤岡屋日記』第37
東京都公文書館所蔵
火の元厳重の御触を読み聞かせているのは家主だろう。町政の運営に当たり町方支配の末端を支える存在であった。
町に残された記録が乏しい東京では、江戸時代の町の運営実態を具体的に知ることが著しく困難です。そんな中、青山御手大工町(現在の南青山二丁目)に残された「町記」は、家主たちの共同による町運営の在り方を知るための重要な情報を提供してくれます。
同町は近隣の六軒町・若松町・浅河町・御炉路(おろじ)町・五十人町と合わせて六か町で共同して町の運営に当たっていました。通常、各町では家主が毎月交替で月行事を務めましたが、ここでは六か町の「月番」がその役目を担っていたのです。
表5-13-1は、月番となった者が受け継ぎ、手元に保管していた月番箱に収められた帳簿です。ここからは6つの町の家主たちが交代で務めた「月番」の業務内容を窺うことができます。
その仕事を次のように整理しておきましょう。
① 町法や御触を徹底させ、時には証文を取って遵守を誓約させること
② 人別帳の作成と管理(町屋敷ごとのものか)
③ 町が負担する税金(公役銀)の出納管理
④ 道や橋などの地域インフラの整備と管理
⑤ 町入用の管理・監査
⑥ 町火消の運用
⑦ 祭礼に関すること
⑧ 鷹場役人の応接
⑨ その他
こうした広範囲にわたる町の運営を自律的に進めるしくみが町には存在しており、町奉行を頂点とした町方支配はこれを前提に成り立つものだったのでしょう。
表5-13-1 月番箱の帳面
港区編 2021 『港区史』通史編近世(下)、
四章一節二項「町運営の実態」(髙山慶子執筆)所収の表を参照