さて、これら魚問屋の元に魚を供給する産地を問屋の側からは「浜方(はまかた)」と呼びました。浜方は「浦」と呼ばれる漁業集落によって構成され、そこには漁師と商人がいました。江戸の魚市場は浜方商人と契約関係を結び、魚介類の入荷を安定的に確保しようと努めました。その結果「御菜八ケ浦」はもとより、武蔵・相模・伊豆・安房・上総・下総等諸国の浦々で獲れた魚介類が江戸の魚市場に搬入され、幕府は魚市場を通して江戸城御用に必要な分を確保し、その余りの魚が市中に流通していったのです。
表5-15-1 江戸の魚市場と魚問屋