金屋跡の遺構と遺物

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芝田町五丁目町屋跡遺跡は、鋳物師・田中七右衛門知次が江戸で初めて金屋を開いた地に当たります。発掘調査で炉跡と鋳造関連遺物が発見されました。
 炉跡は、旧東海道から14間(約25m)ほど奥に入ったあたりで、ほぼ南北に並ぶように検出されました。北から159号・253号・212号遺構の名称を与えましたが、253号遺構が最も古く、212号・159号遺構の順に時代がくだります。253号遺構(図5-17-1)は、径が約94cmのほぼ円形で、深さは20cmでした。中央に径25cm強の小孔(こあな)が開けられ、上部は鉄鍋の一部とみられる鉄板によって半分程度が塞(ふさ)がれていました。さらに、この小孔からガス抜き用と考えられる横穴が掘られ、天井の一部が鉄製の蓋と瓦で覆われていました。床面中央の小孔から壁面に向かって掘られた横穴は他の炉跡でも検出され(図5-17-2)、また数度にわたってつくり直しがおこなわれたことも確認されています。遺物は多量の鉄滓(てっさい)が出土していますが、炉自体は土型を焼くためのものと考えられています。
 芝田町五丁目町屋跡遺跡では、鉄滓のほかに、鉄製の鍬(くわ)先、鉄製鍋の把手(とって)、鍋の耳の土型、製造具と考えられる三叉状土製品など(図5-17-3)が出土しました。

図5-17-2 芝田町五丁目町屋跡遺跡検出炉跡の小孔と横穴

図5-17-3 芝田町五丁目町屋跡遺跡出土の鋳造関係資料