御台場とは

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 江戸幕府が江戸湾内海の品川沖に計画した海上砲台は、将軍の居城江戸城と城下町江戸を直接防衛するためのものであり、将軍、幕府直轄の大公共事業でした。この御台場は、平面プラン、各御台場の役割と大砲の配置などはヨーロッパの書物に学びながら設計されています。また、江戸時代を通じて継承されてきた築城技術・土木技術を融合して構築した点が大きな特徴です(図5-18-2)。
 御台場とは砲台と同義であり、「御」は築造責任者となる将軍または大名などを指す用語のため、基本的に江戸時代では「御台場(おだいば)」と呼ばれていました。
 その御台場は、品川沖だけでなく全国に点在しており、築造地の地名を名前に付けるのが通例です。しかし、ここで取り上げる御台場は、地名のない海上に築造されたため、内海御台場、品川御台場、品川沖○番御台場など複数の名称が存在しています。現在一般的に広く知られている品川台場の名称は、大正15年(1926)10月20日付で国史跡に指定された時のもので、現存する第三台場と第六台場が対象になっています。築造地を考えればいずれの名称も誤りではありませんが、ここでは品川台場と表記をします。
 

図5-18-2 品川台場築造位置推定図
品川区立品川歴史館解説シート「品川御台場」掲載図に加筆し、修正