東禅寺

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 安政5年(1858)に幕府が欧米5か国と結んだ修好通商条約によって、翌安政6年(1859)から江戸に諸外国の外交代表が駐在することになりました。
 イギリスは総領事オールコック(1809~1897)を江戸に送り、高輪の東禅寺が総領事館(公館)に選ばれます。着任したオールコックは、「もし日本を流刑地だと考えるならば、(東禅寺よりも)美しい草庵(hermitage)を選ぶことは不可能だったろうと認めざるをえない」(『大君の都』)と東禅寺を描写しています。この記述からは東禅寺は小さい寺のように感じられますが、実際のところ、東禅寺は「草庵」ではさらさらありませんでした。
 1万4,772坪という広大な敷地をもつ東禅寺は、臨済宗妙心寺派の触頭(ふれがしら)という、幕府と宗派をつなぐ重要な役割を担う寺院でした。さらに寺は、仙台藩伊達家、岡山藩池田家といった大大名をはじめとして14の大名家を檀家として抱えており、境内には立派な建造物が建ち並んでいました。その豪壮な雰囲気はベアトの撮影した写真からもうかがうことができるでしょう(図5-19-1)。