善福寺

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 アメリカは、日米修好通商条約をむすんだ総領事のタウンゼンド・ハリス(1804~1878)が公使に昇格し、麻布善福寺にアメリカ公使館を開きます。
 ハリスが住まったのは寺の「庫裏(くり)」と呼ばれる部分です。庫裏とはふつう僧の住居や台所のことを指しますが、善福寺の庫裏は錦絵にも見えるように、入母屋(いりもや)造りの規模の大きい建造物でした(図5-19-2)。公使館となる前年の安政5年(1858)、高位の公家である近衛大納言忠房(このえだいなごんただふさ)が京都からやってきたときに宿所としたのがこの庫裏の部分です。
 善福寺は天長元年(824)に空海が開いたという言い伝えを持ち、鎌倉時代に親鸞(しんらん)によって浄土真宗に改宗、関東の浄土真宗の拠点となっていま
す。境内は1万7,770坪、13の子院を抱える「大寺院」でした。
 このように、江戸のなかでも格式が高く、規模の大きい寺院が英米の外国公館に選ばれたのです。その景観は江戸ッ子からは「御殿」のように見えたことでしょう。

図5-19-2 渓斎英泉「東都麻布山善福寺境内之図」
文政~天保年間(1818~1844)