図6-3-1 「永福東京御絵図」
慶応4年(1868)江戸は東京と改名されます。明治2年(1869)には事実上の遷都が決まり、いよいよ新しい首都としてのまちづくりが始まります。この年、旧江戸の市街地は治安維持および戸籍改正を主な目的として50の区画(番組)に分けられますが、明治4年(1871)4月、戸籍法発布により武家地、寺社地、町人地の区分が廃止され、さらに同年11月28日には、番組制度に代わり、大区小区の新たな行政区画が制定されました。「永福東京御絵図」明治4年改正版では、大区小区が重ね刷りにより表示されるなど新しいまちの姿が垣間見えます。
〈→『通史編』近代 第一章〉