汐留停車場

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 明治6年(1873)、新橋~横浜間で貨物輸送が開始され、明治22年には東海道線の新橋~神戸間が全線開通しています。また、横浜と北関東・東北方面を結ぶべく、新橋から赤羽にかけて高架線の敷設をすすめ、明治42年(1909)12月16日に新橋~上野間が開通し、新橋駅(図6-6-4)の西側に烏森駅が新設されました。そして、大正3年(1914)12月20日、東海道線の起点として東京駅が開業すると、旅客専用の烏森駅が新橋駅と改名し、新橋駅は貨物専用の汐留駅となりました。
 大正12年(1923)の関東大震災により、汐留駅の駅舎は焼失しましたが、昭和9年(1934)に鉄筋コンクリート2階建ての駅舎が再建されました。汐留駅は、神田川に隣接した飯田町駅や隅田川の水上交通と結節した隅田川駅とともに、東京市内に集散する鉄道貨物の一大拠点として、特に東京南部の勝手口とも呼ばれるほどでした。
 アジア・太平洋戦争後から高度経済成長期にかけて、汐留駅は東京における鉄道貨物の一大拠点であり続けました(図6-6-5)。しかし、交通インフラの転換により鉄道貨物の需要が減ったこともあり、昭和61年(1986)11月1日、汐留駅は廃止されました。また翌年4月には国鉄は分割民営化されました。
 汐留駅の跡地は、しばらく空き地となっていましたが、平成7年(1995)から再開発が始まります。それにともなって、平成3年(1991)から平成12年にかけておこなわれた汐留地区の発掘調査によって、旧新橋停車場の駅舎やプラットホームなどの遺構、切符、汽車土瓶(図6-6-6)などといった停車場に関係する遺物が発見されました。現在、旧新橋停車場跡は国指定史跡になるとともに、開業当時の建物を復元した旧新橋停車場鉄道歴史展示室が建てられ、ホームや駅舎の基礎の一部は建物内で保存展示されています。
(龍澤 潤)

図6-6-4 新橋停車場之図 (明治34年[1901])
『新撰東京名所図会 芝区之部巻之一』

図6-6-5 汐留駅俯瞰写真(昭和40年代)
写真提供:物流博物館

図6-6-6 汐留遺跡出土汽車土瓶
写真提供:東京都教育委員会
駅弁とともに売られたお茶の容器の汽車土瓶が、大量に発掘された。