明治4年(1871)、東京府が所管する地域が広がり、6大区97小区に分けられることになりました。その後も何度か区域の変更を経て、明治11年(1878)7月に郡区町村編制法などからなる三新法が公布され、明治政府による地方行政の組織が作り上げられていきます。この法律を受けて、11月に東京府布達が出され、それまでの大区小区による区画を廃止し、新たに麹町・神田・日本橋・京橋・芝・麻布・赤坂・四谷・牛込・小石川・本郷・下谷・浅草・本所・深川の15区と荏原(えばら)・東多摩・南豊島・北豊島・南足立・南葛飾の6郡に編成することとなりました。芝・麻布・赤坂の3区と荏原郡の一部が、現在の港区域となります。
図6-7-2 「東京大絵図」
明治2年改正 東京都公文書館所蔵