区内には華族や富豪の大邸宅が多く、それらは軍の恰好の徴発対象となりました。麻布区飯倉町の旧和歌山藩主で侯爵の徳川頼倫(よりみち)の場合、日露戦争中に邸内に舎営した兵士のために当時の金額で実に5,253円75銭9厘も支出した記録が残っています(東京都公文書館「旧藩主功績調」)。これは第一連隊をはじめ後備四十九連隊、第三大隊本部が同邸に舎営したときの副食物・料理・消耗品・諸雑費等一切の費用で、軍から支給された舎営料を差し引いた実費とあることから、規定の舎営料をはるかに超える費用(現在の金額で数千万円)を自費で負担して兵士たちを歓待優遇したことがうかがえます。
表6-9-1・表6-9-2は区内に所在する部隊の動員・出動・凱旋の状況をまとめたものです。部隊が出征し、凱旋するたびに兵営と新橋停車場、あるいは品川停車場を結ぶ沿道に多くの群衆が詰めかけ、熱烈な歓送迎をおこなったのも港区の特色といえるでしょう。
表6-9-1 日清戦争における港区所在各部隊出征・凱旋一覧
『都史資料集成』第1巻①489-496頁より作成
表6-9-2 日露戦争における港区所在各部隊出征・凱旋一覧
*は編成担任歩兵第一連隊、**は編成担任歩兵第三連隊。『日露戦役御旗之光・第一師管健児部隊実戦記』や各連隊史より作成