連隊の動向と軍事施設の戦後

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 1930年代、非常時局の進展とともに区内所在の部隊も相次いで「外地」へ出征していきました。第一師団所属の歩兵第一連隊と歩兵第三連隊は、昭和11年(1936)5月、師団の満州(中国東北部)移駐にともない軍旗を先頭に転出していきました(図6-10-6)。その後歩兵第三連隊は、満州(中国東北部)で新設された第二十八師団の基幹部隊として第一師団を離脱。昭和19年(1944)11月、第一師団は満州(中国東北部)からフィリピン・レイテ島へ進出(図6-10-7)、米軍と死闘ののち、ほぼ全滅に近い損害を受けてセブ島へ転進し、終戦を迎えました。歩兵第三連隊の所属する第二十八師団は沖縄防衛戦のため昭和19年(1944)8月、宮古島に進出し、そこで終戦を迎えました。近衛歩兵第三連隊と第四連隊は昭和15年(1940)6月動員下令、中国・漢口作戦などに参加、昭和16年7月フランス領インドシナ進駐ののち太平洋戦争開戦と同時にマレー、シンガポール作戦に参加、その後は北部スマトラ平定作戦に参加して同島で終戦を迎えました。
 これらの部隊のあとにはそれぞれの部隊名を冠した補充隊が設置されましたが、昭和18年(1943)6月、青山北町の兵営において近衛歩兵第六連隊が、大宮御所(皇太后の住所)警備のため編成されるなど、アジア・太平洋戦争中のその頻繁な異動については紙数の関係で割愛し、終戦直後の区内の旧軍用地を表6-10-1にまとめて紹介することで説明に代えます。
(白石弘之)

図6-10-6 満州(中国東北部)移駐のため麻布狸穴通りを品川駅に向けて行進する歩兵第一連隊
読売新聞 夕刊 1936年5月9日

図6-10-7 レイテ島オルモックに上陸する第一師団
『第一師団レイテ決戦の真相』(朝雲新聞社、1977年)

表6-10-1 東京都下における旧軍用地並に旧軍用建物調査(19 48年9月現在)

「東京都下における旧軍用地並に旧軍用建物調査」(東京都総務局調査課、1948年9月、東京都公文書館所蔵)から港区の分を抜粋作表