昭和11年(1936)2月26日早朝、「尊皇討奸(とうかん)」「昭和維新」を叫ぶ青年将校に率いられた歩兵第一連隊・同第三連隊を主力とする1,400名の部隊は、斎藤実(さいとうまこと)(内大臣)、高橋是清(たかはしこれきよ)(大蔵大臣)をはじめとする重臣等を襲撃殺傷し、永田町一帯を占拠しましたが、事件発生から4日目の29日、戒厳部隊に帰順投降して事件は解決しました。二・二六事件です。東京市連合防護団は、28日と29日の両日、戒厳司令部の要請により出動し、住民の避難誘導や警戒警備、交通整理等をおこない、市内全域にわたって事件解決に多大の貢献をしました。事件の舞台となった港区域での防護団の活動を見ていきましょう。