自治防空組織「東京市連合防護団」

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 昭和5年(1930)、東京警備司令部、東京憲兵隊、警視庁、東京府庁、東京市役所の5者申し合わせによって制定された「東京非常変災要務規約」は関東大震災の惨害と混乱の反省に立ち、来たるべき非常変災(空襲)に備えて関係官公庁が連携して統一的な対応をおこなうことを目的としたものでした。「規約」の最大の目的であった大衆的防空団体=防護団の組織と訓練は東京市役所が担当し、昭和7年(1932)9月1日、代々木練兵場で5万人の団員が参加して東京市連合防護団の発団式が大々的に挙行されました。
 防護団は東京市の行政区画にしたがって区ごとに編成され、区防護団はこれを防護分団に、防護分団はさらに班に区分し、区防護団をもって東京市連合防護団を編成するものとされました。区防護団長には区長が、連合防護団長には東京市長が就任しました(図6-13-2)。
 青年団、少年団、婦人会、町内会、医師会など関連団体を一丸とした各区防護団を基幹に編成された東京市連合防護団は「我等の帝都は我等で護れ」をスローガンに、その活動基金250万円のすべてを市民の寄付でまかなう自治防空組織として出発したのでした。

図6-13-2 芝区の防護団
『目で見る港区の100年』(郷土出版社、2013年)より転載