自治防護団から官製警防団へ

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 戒厳司令部参謀長安井藤治はその備忘録に「避難区域ニ特ニ報告ヲ要スルカ如キ不安、故障等殆ントナカリキ」(松本清張・藤井康栄編『二・二六事件=研究資料』)と記していますが、2万人近い住民を短時間にトラブルなく避難させた防護団の鮮やかな活動ぶりを評価すべきでしょう。
 最初は、部外者が軍の問題に容喙(ようかい)(横から口出しをすること)すべからずと防護団にきわめて冷淡だった戒厳司令部の参謀も、事件が大詰めに近づいた29日午前7時20分の段階では「連合防護団本部の情況報告及連絡が迅速で適格なるを以て司令部は非常に便利である、尚今後ともよろしく御連絡を乞ふ」(前掲『都史資料集成』第12巻)と謝意を表しています。事件を契機に、防護団は軍部に対してその存在感をアピールしたのでした。
 その後、非常時局の進展により昭和14年(1939)には「警防団令」によって内務省・警察署の強力な統制のもとに警防団が設置され、自治防空組織であった帝都の防護団は解散して官製警防団へとその業務を引き継いでいったのでした。
(白石弘之)