精密爆撃から無差別爆撃へ

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図6-14-3 焼夷弾の残骸


 
 マリアナ諸島に進出したアメリカ軍のB29による東京空襲は昭和19年(1944)年11月24日に始まりました。最初のうちは中島飛行機武蔵製作所(武蔵野市)など軍需工場を目標とした高高度からの昼間の精密爆撃がおこなわれていましたが思うような戦果が挙がらず、翌年2月25日から大量の焼夷弾攻撃によって市街地を無差別に焼き尽くす地域爆撃方式に切り換えられました(図6-14-3)。以後、3月10日、4月13・14日、同15・16日、5月24日、同25・26日の6回に及ぶ大規模無差別爆撃によって東京の市街地の大半が焼き尽くされ、アメリカ軍の爆撃目標から外されたのです。