風が火を燃え立たせ、火が風を呼び、またその風が狂ったようにあたりに火の粉をまき散らす。家が火の玉のようになり手のほどこしようもなくなった時、声をかけ合って皆で崖下に降りた。全く奇蹟的に、全員がかすり傷一つしていなかった。兄の友人は防空頭巾がなかったので、「頬が焦げそうだった」と言いすね毛のすっかり焼けた足をさすっていた。皆がそれぞれ身近に見た焼夷弾のすごかった様子を話し合っていると、「ああ、増上寺の五重塔が……」と、母が叫んだ。見ると、崖のすぐ下は四月の空襲の前に強制疎開で取り払われた家の跡地が、黒く静まっていたが、その先一面火の海の町の向うに、五重塔が黒く浮かび上がっている。
焼け残ったのかと見るうち、塔はそりを見せた一層一層の屋根のへりから火を吹き始めた。それは美しいとしか言いようのない炎の色と塔のシルエットとのコントラストだった。塔はそのままの形で紅蓮の炎にくるまれて、それでもガッシリと立っている。だが、しばらくするとそれは、少しずつ沈み始めた。
伯父も、父や母も、兄達も、かたずをのんで見守っている。もうだれも一言も発しなかった。ゆっくり、まるで、だんだん遠のくように、そして最後にくずれるように沈み込むと、一かたまりの金色の火の粉となって、煙と熱風のうずまく暗い夜空に立ちのぼっていった(『東京大空襲・戦災誌』2)(図6-14-6)。
(白石弘之)
図6-14-6 増上寺五重塔
写真提供:増上寺