戦後の混乱から高度経済成長まで

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図7-1-1 終戦直後の新橋上空からの航空写真
写真提供:朝日新聞社/時事通信フォト

この写真は、終戦直後に新橋上空から東京湾方面を撮影したもの。新橋駅の西側(写真の下側)は、桜田国民学校(現在の港区生涯学習センター、桜田公園のある場所)などの建物以外はまったく見られない。このような焼け野原から、戦後復興をはじめなければいけなかった。


 昭和20年(1945)8月、日本はポツダム宣言を受け入れ、終戦となりましたが世の中は大きく混乱していました(図7-1-1)。アメリカを中心としたGHQが日本の戦後処理を主導し、その指示のもと、新たな政治主体が生み出されていきます。東京は、区域整理にともなって35区が22区に統合され、新たな自治体として港区が誕生しました。戦後の混乱の中で、人びとの暮らしはまだまだ厳しいものでしたが、新橋駅前では早くも闇市が誕生し、六本木地域では自主的なまちづくりがおこなわれるなど、新たな時代を生み出していこうという動きが見られました。
 朝鮮戦争の特需によって高度成長期を迎えると、東京の街中には多くのビルが建築されますが、新たな建築物として特筆すべきは芝公園内に設置された東京タワーです(図7-1-2)。当時、世界一の高さを誇る鉄塔は、戦後からの復興を象徴する存在でありました。電波塔でもあるこの塔を通じて、NHKや民放各社のテレビ放送が送られ、昭和30年代にはテレビが一般家庭にも普及するようになりました。

図7-1-2 東京タワー(昭和42年頃)

戦後復興の象徴的な存在の一つである東京タワーは、通天閣やさっぽろテレビ塔などを手がけた内藤多仲の設計によるもので、平成25年(2013)に国登録有形文化財となった。現在は東京の主電波塔としての役割を東京スカイツリーに譲ったものの、東京の主要な観光施設となっている。


 
 そして、戦後復興と高度成長期を象徴する出来事が、昭和39年(1964)に開催された東京オリンピックです。オリンピックにあわせて、国立競技場や秩父宮ラグビー場などの競技施設だけでなく、東海道新幹線や東京モノレールが開業し、首都高速道路など東京都内の交通インフラも整備されていきました。