まちのうつりかわりと現在

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 高度成長期によって大きくまちの様相や人びとの暮らしが変わっていく中で、かつて「江戸前」と呼ばれた豊富な漁場であった東京湾内湾の漁業が、埋立地や東京港の整備などにより衰退していきます。昭和37年(1962)の漁業補償によって東京湾内湾のすべての漁業権がなくなりました。その後は、自由漁業をしながら釣り船や屋形船などの営業を兼ねることで新たな東京の風景を作り出していくことになります。
 また、整備された東京港沿岸には多くの倉庫会社が軒を連ねましたが、物流のしくみが変わることで、倉庫の建物を別の形で転用する動きが現れます。1970年代のボウリングブームや1980年代のディスコブームにあわせて、レジャー施設となっていくものもありました。東京の港湾部が新たな文化の発信拠点、ウォーターフロントとして展開し、今も成長しつづけています(図7-1-3・図7-1-4)。
 現在の港区は、区西側に明治神宮外苑や青山霊園などの緑地帯、区中央部は鉄道や主要道路が南北に縦断し、オフィスや店舗などが建ち並ぶ低平地帯、そして高層集合住宅群などが立ち並ぶ区東側の埋立地というように、さまざまな顔を持つまちとなっています。新しいものが立ち並ぶだけではなく、旧公衆衛生院(現在の港区立郷土歴史館)や旧協働会館(現在の港区立伝統文化交流館、図7-1-5)といった歴史的建造物なども保存・活用されており、地域のまちづくりにアクセントを与えています。
(龍澤 潤)

図7-1-3 東京港連絡橋

芝浦と台場をつなぐこの吊り橋は、通称「レインボーブリッジ」と呼ばれるが、これは一般公募によって付けられた愛称である。昭和62年(1987)に着工し、平成5年(1993)に竣工した。その後、新交通ゆりかもめが橋の下部を通行し、いわゆる「お台場」の発展につながるものであった。

図7-1-4 JR高輪ゲートウェイ駅
写真提供:東日本旅客鉄道株式会社

図7-1-5 旧協働会館(平成10年撮影・現在の港区立伝統文化交流館)