闇市とは

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 アジア・太平洋戦争後の新橋駅前では闇市と呼ばれる市場が存在しました。新橋の闇市は東京でも有数の規模を誇り、多くの人びとで賑わっていました。闇市では、当初、空地で人びとが地面に商品を広げて売ったり、道路上に縁日の露店のような店が並んでいましたが、やがてマーケットと呼ばれる長屋型の共同店舗が建設されます。その後、闇市の時代は終焉(しゅうえん)を迎えますが、その雰囲気は現在でも駅前に受け継がれています。
 闇市とは統制経済のもとで、公的には禁止された流通経路を経た「闇物資」を扱う市場のことを指します。戦争中に政府は経済統制を強め、昭和14年(1939)には価格等統制令を施行して、商品価格の統制と主要物資の配給制度を導入します。戦争の激化にともない物資が極端に不足すると、公定価格は低く抑えられていたため、多くの物資が闇取引に流れるようになりました。とくに終戦時には配給制度はほとんど崩壊しており、人びとは闇物資に頼るほかなかったのです。戦後も、混乱で取り締まりが弱体化しており、行政も闇市の存在を認めて、闇取引や不法占拠を黙認、半ば公認せざるをえませんでした。
 図7-2-2は冒頭の写真と同じ日にその北側(現在のSL広場やニュー新橋ビル付近)を撮った写真です。ここでは露店は4列に仕切られ、1軒ずつ場所割りがなされていることがわかります。2枚の写真からは、闇市はいくつかの段階的な形態をとっていたことがわかります。

図7-2-2 新橋駅西口の闇市 昭和21年(1946)2月13日
写真提供:昭和館