一面の焦土と化した東京の復興を図るため、戦災復興院は昭和21年(1946)4月に復興都市計画区域として芝区の一部、麻布区の全部、赤坂区の大部分を含む東京都区部を決定、告示しました。東京都はこのうち、優先的に事業をおこなうべき地区として、3次に分けて42の地区を戦災復興土地区画整理事業の施行地区として指定しました。現在の港区ではこのうち4地区、合計約102万2,000坪(一部渋谷区を含む)が指定され、さらに行政ではなく住民自らが施行をおこなう組合施行地区として冒頭で取り上げた六本木地区が指定されました。
また東京都の戦災復興計画では、港区には現在の千代田区・中央区といった昔からの都市中枢と、新しい都心である新宿や渋谷、東京港や京浜工業地帯を結ぶ大規模な道路や、集中を緩和するための環状路線が計画されました。ただ終戦後のインフレを防止するため、ドッジ・ラインと呼ばれる厳しい緊縮財政政策がとられるようになると、これらの計画は大幅に縮小されていきます。