新たに誕生した町割り

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 図7-4-4は区画整理の結果できた新たな街区の形状を示しています。街路がグリッド状に引かれていることや、四つ角で角の部分の土地が45度に削り取られている(隅切り)ことなどは、この場所が区画整理によって新たに区画が引き直されたことを示しています。
 このほかにも港区でおこなわれた戦災復興土地区画整理事業では、特徴的な設計が見られる地区があります。麻布十番に存在する「パティオ十番」と呼ばれる多目的広場は、もともと戦災復興土地区画整理事業の際に、商店街に賑わいをもたらすために設計されたものです。昭和61年(1986)に改装され、現在は商店街のお祭りなどにも利用される、緑豊かな憩(いこ)いの場所となっています(図7-4-5)。
 東京は関東大震災後の震災復興土地区画整理事業、アジア・太平洋戦争後の戦災復興土地区画整理事業と大きな災害を契機として都市計画事業が進展してきました。前者は被害の大きかった下町を中心におこなわれたのに対し、後者は山の手を中心におこなわれました。この時に生まれた町割りが現在にまで引き継がれ、現在の都市空間の基盤となっているのです。
(初田香成)

図7-4-4 麻布組合設計図
『甦った東京 東京都戦災復興土地区画整理事業誌』(東京都、1987年)

図7-4-5 パティオ十番(麻布十番二丁目)