図7-8-1 明治二十九年東京湾築港設計全図(加工)
国立国会図書館デジタルコレクションより転載
明治29 年(1896)に作成された「東京湾築港設計全図」は品海本港案と呼ばれた有力案でした。その本港が描かれた海域は第一、第四、第五台場を結ぶ旧江戸防衛線の内側にあって、沿岸市街地へ海が凸に入り込む要所でした。しかし、当時日本最大の国際港であった横浜港との関係からこの築港計画は実現しませんでした。その間も隅田川口からは定量の土砂が吐き出され続け、その底浚(さら)いで生じた大量の土砂でこの海域は埋め立てられてしまいました。
しかし、戦後になって現在見られる第六台場の南北に東京港の港域が築港されるに当たり、かつての旧江戸防衛線の内側は国内輸送を主眼とする内港として、その外側は国際貿易を主眼とした外港として構えられました。「東京湾築港設計全図」に見られた旧江戸防衛線を近代的に再解釈する港の構成は、現在の東京湾のマスタープランにも伏在しているのです。
〈→『通史編』現代 第十章〉