保管倉庫業の発生

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 近代東京港が形成されるに従って、芝浦一~四丁目周辺の埋立地の立地は変化し、それによる港湾倉庫業の変遷が東京全体に大きな影響を与えていきます。ここでは、明治から大正期にかけて東京湾沿岸に展開していた保管倉庫業からその歴史を紐解いていきます。
 東京湾沿岸の保管倉庫業の発生は、明治政府から民間倉庫業者に政府米の保管業務が委託されたことに始まります。埋立地の新設にともなってその領域は拡がり、芝浦一〜四丁目の新設埋立地にも保管倉庫群が建設されました。大正9年(1920)創業の東京倉庫運輸株式会社も昭和7年(1932)に竹芝橋倉庫を(図7-8-3①)、昭和38年に五色橋倉庫(図7-8-2①)をこの場所に建設しました。いずれも伝統的保管業の倉庫でした。取り扱う貨物の形状と重さが決まっている保管倉庫業では、五色橋倉庫のような定型荷役機械と倉庫が一体化した倉庫建築が合理的でした(図7-8-2②)。東京湾岸にはまだ港がなく、水路のはしけ船から一気に貨物を荷揚げする機構が倉庫に求められたのです(図7-8-2③)。その他にも明治18年(1885)創業の東京瓦斯(がす)会社(現在の東京ガス株式会社)のガスプラントが建設されるなど、初期の芝浦はひと気の少ない都市インフラ用地でした。

図7-8-2① 芝浦運河と東京港の船溜まりの風景
『昭和44年東京倉庫運輸株式会社営業案内』

図7-8-2② 五色橋倉庫(現在の第一東運ビル)外観
『昭和49年東京倉庫運輸株式会社営業案内』 運河に面してホイストが倉庫に組み込まれている。

図7-8-2③ 五色橋倉庫荷役フロー図
『昭和44年東京倉庫運輸株式会社営業案内』