海岸線の移動と物流倉庫業への転身

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 戦後の東京港築港が進むにつれ、埠頭(ふとう)の海側にはさらなる埋立地が建設されていきました。芝浦埠頭の新設により、航路に直接面していた芝浦一〜四丁目埋立地の東京湾における立地特性も失われ、しかも国際貿易港が整備されたことで港湾倉庫の取り扱い貨物は多種多様なものとなりました。この事態に対応すべく倉庫業者は、保管倉庫業から物流倉庫業への転身を図るようになります。それまでの倉庫一体型の荷役装置を放棄し、大空間の中に商品ごとに区分けしたパレットで顧客別に貨物を管理するに至ります。物資を呑み込み、吐き出すまでの時差を制御する物流倉庫は、港湾倉庫業が都市の経済を稼働させるためのエンジンのようなものでした。

図7-8-3① 竹芝橋倉庫(現在の第三東運ビル)外観
『昭和49年東京倉庫運輸株式会社営業案内』

図7-8-3② 竹芝橋倉庫断面図
東京倉庫運輸株式会社提供
上部2層に渡って都市レジャー施設(ボウリング場)が入る。