「ジュリアナ東京」という都市のイメージ

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 しかしながら、1970年代に陸海を跨(また)いだ一元的な貨物管理であるコンテナリゼーションが導入されると状況は一変します。国際標準寸法で規格化され仮設の倉庫にも使えるコンテナの箱に対して、大きさの異なる常設建築物で物流機能を果たそうとする不合理はもはや明らかでした。そこで、倉庫建築特有の大空間を利用した新しい業態への脱却が考えられていきました。
 芝浦一丁目の竹芝橋倉庫は、その代表的な例です(図7-8-3①)。昭和48年(1973)にまず最上部の「巨大な屋根裏」である2層吹き抜け無柱空間がボウリング場として利用されました(図7-8-3②)。その後、こうしたレジャー施設への港湾倉庫の転用は加速度的に東京湾岸で進み、1980年代にはいわゆる「ロフト文化」を形成するに至ります。そして、竹芝橋倉庫1階の「ジュリアナ東京」というディスコの登場でピークを迎えます(図7-8-4①)。他にも同じ芝浦の「インクスティック」や「ゴールド」といった倉庫を転用した空間がロフト文化の聖地となりました(図7-8-4②)。それまで都市インフラ用地でしかなかった湾岸は、一転してバブル経済に沸くメガロポリスの文化を発信するウォーターフロントとなったのです。

図7-8-4① ジュリアナ東京内観
東京倉庫運輸株式会社提供
バブル期の喧騒を象徴するウォーターフロントの光景となった。

図7-8-4② ジュリアナ東京外観
東京倉庫運輸株式会社提供
竹芝橋倉庫にロゴと破風などの仮設のような装飾をあしらったエントランス。