大きく南北を皇居と羽田空港に、東西を明治神宮と東京港に挟まれる港区は、都市スケールの緑が連続する高台地(A)から、商業オフィス機能が集中する低平地(B)、港湾機能が展開し近年は高層集合住宅群も林立する海上埋立地(C)、という地形と連動した南北方向の3段構造となっています(図7-9-2)。赤坂御用地から明治神宮外苑、青山霊園を経て有栖川宮記念公園、東京都庭園美術館へと至る高台地(A)は、武蔵野台地の南端部に位置し高低差のあるランドスケープを構成しています。江戸時代には海に面した沿岸部であった低平地(B)は新橋から品川へと旧東海道に沿う一大ビジネスゾーンを形成し、主に戦後埋め立てられた新土地(C)は東京全体の港湾機能を果たしながらウォーターフロント特有の「都市のイメージ」を発信しています(本章8節参照)。港区のまちづくりは、これら南北方向の3段構造を複数の都市インフラが東西方向に横断していると見ることで、区域を小さな節の領域に分けて捉えることができます。そして、それらを再び互いに接続させる工夫の仕方が港区特有の都市インフラとなる「分節統一体」とも呼べる新たな都市像を作り上げていくようです。
図7-9-2 港区の 12 の領域ダイアグラム
図版作成:渡邊大志
3 段構造と 3 本の軸によって 12 の小さな節の領域に分けられる。さらに、それらと別に地下鉄駅がスポット的に人をつなぐことで都市が複層化する。