昭和39年(1964)8月21日にギリシャ・オリンピアで採火された聖火は、9月7日沖縄に到着、鹿児島、宮崎、千歳に空輸され、9月10日、これら3都市を出発点に、全国を4ルートに分けてリレーがスタートします。その後、約1か月をかけて全国をめぐった聖火は、第1 ルート、第2 ルート、第3 ルート、第4 ルートをたどり、10月7日から9日にかけて都内に入りました。港区は、多摩川に架かる六郷橋から、当時、千代田区有楽町にあった都庁に至る、第2ルートに当たります。この間の走行距離は25.2km、およそ2時間15分の記念すべき大イベントでした。
10月8日(木曜日)午前11時、神奈川県境の中継地点で引き継がれた聖火は、六郷橋で多摩川を渡り、京浜急行梅屋敷駅前、品川区役所前、目黒区下通五丁目交差点を経て、天現寺橋交差点に到着します(①)。ここで引き継がれた聖火は、古川の北岸を古川橋に向かいます(A)。その後、古川橋交差点で向きを北に変え、三の橋西詰を経て、次の二之橋中継地点を目指します(B)。さらに、その北方300mほどの一の橋(麻布十番)(②)で再び東に向きを変えます。当時の記録には、聖火を見送るために古川橋から一の橋にかけて参集した観衆は、3万人に達したとあります。
一の橋を通過した聖火は古川の南岸を進み(C)、芝園橋(③)南詰で日比谷通りに入り、間もなく芝公園野球場前中継地点(D)で引き継がれた後、日比谷通りを北上します。この間に集った観衆は、最高時で2万人であったと綴られています。
ところで古川は、上流で渋谷川と呼ばれる、港区最大の河川で、麻布台地の南から三田段丘の北をほぼ東西方向に流れています。今日見られる古川は、江戸幕府が17世紀後半におこなった改修工事によって基盤がつくられました。川沿いには沖積低地が広がり、1964年東京オリンピック開催の頃は、天現寺橋・古川橋間の南側には町工場が並び、二の橋・赤羽橋間では、病院、庶民の住宅や商店が軒を接していました。しかし近年では、新たなビル建築や市街地再開発事業によってまちは変わりつつあります。一方、台地側に目をやると、川沿いに新たな中・高層ビルが建ち並び、所々で市街地再開発事業が進められているものの、少し奥に入ると昭和の名残が強く感じられる区域が広がっています。
再び聖火を追いましょう。日比谷通りに入った聖火は、芝公園(④)沿いを北に直走します。増上寺三解脱門(三門)前を過ぎ、国の重要文化財である有章院霊廟二天門前を通過(E)し、御成門交差点から新橋地区を北上します。増上寺の西方には戦後復興を象徴する建造物である東京タワーがそびえています(⑤)。芝公園の東側も日比谷通りに接して高層ビルが建ち並ぶことなく緑陰豊かな区域が今も広がっています。
新橋地区は、戦後、港区内でいち早く市街化が進んだ区域です。このあたりのまち並みは昭和40年代以降の高度経済成長期に変わり始め、昭和末期あるいは平成初期から絶えることのないビル建設や市街地再開発事業により変化を続けています。
聖火は、田村町交差点(現在の西新橋三丁目交差点、F)から港区を出て、当時、内幸町にあった放送会館前(⑥、田村町中継地点)で引き継がれ、最終地点である東京都庁に向かいました。
10月9日午後までに東京都庁に到着した4ルートの聖火は皇居前広場に運ばれ、ひとつに集火されて10月10日を迎えました。
当日、聖火は再び港区内を通過しました。秋晴れのもと、皇居前広場を出発した聖火は、赤坂見附から国道246号線(青山通り)を西に進み、外苑前を右折し国立競技場の聖火台に点火されました。
(髙山 優)
※前頁の地図および本文中のA~Fは、次頁の写真にほぼ一致します。
青山通りを進む開会式当日の聖火リレー
©kyodonews/amanaimages
1964年東京オリンピック聖火リレーコース沿線の今昔
昭和37年(1962)
『みなと写真散歩』
令和2年(2020) A. 新広尾町三丁目から望む天現寺橋方面
昭和37年(1962)
『みなと写真散歩』
令和2年(2020) B. 二之橋中継地点付近
昭和37年(1962)
『みなと写真散歩』
令和2年(2020) C. 中之橋都電停留所付近
昭和39年(1964)
提供:生駒滋男
令和2年(2020) D. 芝公園野球場前中継地点
昭和39年(1964)
提供:東京プリンスホテル
令和2年(2020) E. 有章院霊廟二天門前
昭和37年(1962)
『みなと写真散歩』
令和2年(2020) F. 田村町一丁目交差点
港区立郷土歴史館常設展の近現代展示
幕末の外国公使館の設置から現在まで連綿と続いている「国際化」、近代初等教育発祥以来の文教地区としての歴史をもつ「教育」、人びとの便利な生活や都市の発展に不可欠な役割を果たす「交通・運輸」、人びとの生計の場となるとともに商品が暮らしをより豊かにした「生業・産業」、人びとの身体や財産、生活に大きな傷を与えた「戦争・災害」という5つのテーマを設定し、原資料はもちろんのこと、多彩な復元装置や模型、映像機器も利用して、港区の近現代の歴史を重層的に紹介しています。
旧桜小学校書棚(展示室I)
芝橋あたりの交通とまち(展示室J)