1章
扉図 国立科学博物館附属自然教育園
図1-1-1 伊皿子貝塚貝層断面(約4,000年前)
図1-1-2 港区海域周辺における埋立ての歴史
図1-1-3 再開発事業を通じて整備された庭園
図1-1-4 開発事業で創出された緑の空間
図1-1-5 市街地(虎ノ門ヒルズ周辺)
図1-1-6 国立科学博物館附属自然教育園
図1-1-7 愛宕神社
表1-1-1 港区で確認された生きもの
図1-2-1 芝地区周辺図
図1-2-2 港区の地形
図1-2-3 港区の地質
図1-2-4 遺跡にみる地層
図1-3-1 都道における伸び伸びとした道路緑化の例
図1-3-2 愛宕神社
図1-3-3 ハリガネオチバタケ
図1-3-4 マンリョウ
図1-3-5 有栖川宮記念公園
図1-3-6 カワセミ
図1-3-7 コシアキトンボ
図1-3-8 高輪森の公園
図1-3-9 クロアゲハ
図1-3-10 アオモンイトトンボ
図1-3-11 三田台公園
図1-3-12 シロツメクサ
図1-3-13 ムクドリ
図1-3-14 区役所の屋上緑化
図1-3-15 品川駅港南口の街路樹
図1-3-16 ハナミズキ
図1-4-1 有栖川宮記念公園の池
図1-4-2 弁慶堀
図1-4-3 ホザキノフサモ(左)と繁茂の様子(右)
図1-4-4 古川
図1-4-5 ニホンウナギ
図1-4-6 マルタ
図1-4-7 お台場海浜公園の人工砂浜
図1-4-8 ハマヒルガオ
図1-4-9 コアジサシ
図1-4-10 高浜運河
図1-4-11 ムラサキイガイ
図1-4-12 ボラ
図1-4-13 お台場海浜公園の石積み護岸
図1-4-14 アカオビシマハゼ
図1-4-15 マコガレイ
図1-4-16 コメツキガニ
図1-4-17 アサリ
図1-4-18 ホンビノスガイ
図1-4-19 イワフジツボ
1章コラム
①東京海洋大学
②セイタカアワダチソウ
③アオサの仲間(緑藻類)
④ホソアヤギヌ
⑤高浜運河
⑥スズガモ
⑦人工磯浜(石積み護岸)
⑧チチブ
■東京海洋大学 ミュージアム機構 マリンサイエンスミュージアム
展示風景
全長約13mのコククジラの全身骨格標本
■港区立郷土歴史館
生体展示の様子
展示風景
2章
扉図 伊皿子貝塚遺跡出土堀之内式土器
図2-1-1 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡 石器ブロック検出状況
図2-1-2 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡 出土石器
図2-1-3 旧白金御料地内武家屋敷跡遺跡 出土石器
図2-2-1 伊皿子貝塚遺跡で発見された敷石住居跡
図2-2-2 住居跡が発見された遺跡の分布状況
図2-2-3 敷石住居跡の平面図と遺物等出土状態
図2-2-4 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡検出住居跡と出土遺物
図2-3-1 伊皿子貝塚の貝層表面
図2-3-2 港区の貝塚
図2-3-3 伊皿子貝塚の貝類組成
図2-3-4 伊皿子貝塚の貝層断面
図2-3-5 貝刃(伊皿子貝塚出土)
図2-3-6 西久保八幡貝塚の貝層断面
図2-3-7 縄文時代後期の土器(西久保八幡貝塚出土)
図2-4-1 雁木坂上遺跡N地点出土土器
図2-4-2 伊皿子貝塚遺跡の貝層と方形周溝墓
図2-4-3 伊皿子貝塚遺跡方形周溝墓 北溝検出状況
図2-4-4 伊皿子貝塚遺跡検出第1号方形周溝墓北溝 壺形土器出土状態
図2-4-5 伊皿子貝塚遺跡検出第1号方形周溝墓出土遺物
図2-4-6 伝芝公園出土須和田式壺形土器
図2-4-7 雁木坂上遺跡N地点検出住居跡
図2-4-8 雁木坂上遺跡N地点検出住居跡の炉
図2-4-9 雁木坂上遺跡N地点検出住居跡 遺物出土状態
図2-4-10 港区の主要な弥生時代遺跡群
2章コラム
①伊皿子貝塚貝層断面
②西久保八幡貝塚貝層断面
③雑魚場跡貝層断面
■三田台公園と伊皿子貝塚遺跡
縄文復元住居
3章
扉図 伝芝公園出土人物埴輪
図3-2-1 昭和22年(1947)の芝公園南半
図3-2-2 芝公園内古墳分布図
図3-2-3 芝丸山古墳で検出された巨石の上に立つ坪井正五郎
図3-2-4 芝丸山古墳
図3-2-5 芝丸山古墳・円墳群発掘調査時の様子
図3-2-6 伝芝公園出土人物埴輪
図3-2-7 増上寺寺域第2遺跡出土埴輪
図3-2-8 芝公園採集埴輪
図3-2-9 亀塚
図3-2-10 亀塚測量図
図3-3-1 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡 古墳時代の竪穴建物跡群Ⅰ区
図3-3-2 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡 古墳時代の竪穴建物跡分布図
図3-3-3 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡 3号住居跡全景
図3-3-4 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡 3号住居跡出土遺物
図3-3-5 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡 5号竪穴建物跡全景
図3-3-6 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡 遺物出土状態
図3-3-7 薩摩鹿児島藩島津家屋敷跡第1遺跡の推定位置
図3-3-8 薩摩鹿児島藩島津家屋敷跡第1遺跡の遺構検出状況
図3-3-9 薩摩鹿児島藩島津家屋敷跡第1遺跡の出土遺物
図3-3-10 伊皿子貝塚遺跡検出第2号・第3号住居跡
図3-3-11 伊皿子貝塚遺跡検出第2・3号住居跡 出土遺物
図3-4-1 亀山碑
図3-4-2 亀山碑拓影・翻刻
図3-4-3 「東都近郊図」(部分)
図3-4-4 承教寺跡・承教寺門前町屋跡遺跡検出住居跡
図3-4-5 承教寺跡・承教寺門前町屋跡遺跡検出住居跡 出土遺物
図3-4-6 伊皿子貝塚遺跡 ウマ出土状態
図3-4-7 伊皿子貝塚遺跡 ウシ出土状態
図3-4-8 古代の遺跡分布状況
3章コラム
「芝円山古墳調査略記」(部分)
③麻布山善福寺
④麻布氷川神社
⑧烏森神社
⑩赤坂氷川神社
■港区立郷土歴史館で学ぶ芝丸山古墳群
芝丸山古墳群第1号墳出土遺物の展示風景
「芝公園内古墳発掘地々図」
4章
扉図 光明寺の弥陀種子板碑
図4-1-1 江戸太郎重長像
図4-1-2 建武4年(1337)正月7日「足利直義御教書」
図4-1-3 太田道灌像
図4-1-4 永禄9年(1566)「北条氏朱印状」(善福寺文書)
図4-2-1 芝大神宮
図4-2-2 六本木天祖神社
図4-2-3 櫻田神社
図4-2-4 愛宕山
図4-2-5 御田八幡神社
図4-2-6 綱坂
図4-3-1 応永27年(1420)5月9日「江戸名字之書立」
図4-3-2 飯倉熊野神社
図4-3-3 中世江戸氏分布図
表4-3-1 「江戸名字之書立」分析表
図4-3-4 日枝神社
図4-3-5 江戸氏略系図
図4-3-6 石浜・武蔵野合戦要図
図4-3-7 新田神社
図4-4-1 永禄2年(1559)「小田原衆所領役帳」(元禄5年写本)
図4-4-2 「小田原衆所領役帳」に見える港区周辺の地名
図4-4-3 法恩寺
図4-4-4 世田谷城跡
図4-5-1 善福寺の大銀杏
図4-5-2 善福寺本堂
図4-5-3 了海上人像
図4-5-4 阿佐布門徒略系図
図4-5-5 6月13 日「顕如書状」
4章コラム
①天徳寺の弥陀種子板碑
②亀塚稲荷神社の板碑(5基)
■亀塚公園
5章
扉図 一立斎広重「東都名所 芝神明増上寺全図」
図5-1-1 歌川広重 紀の国坂赤坂溜池遠景『名所江戸百景』
図5-1-2 潮見坂『江戸名所図会』巻七(部分)
図5-1-3 「東都麻布之絵図」『江戸切絵図』尾張屋版 嘉永4年(1851)
図5-2-1 「別本慶長江戸図」
図5-2-2 東京湾北西部付近の遺跡の分布と推定汀線の変遷
図5-2-3 愛宕下で発見された江戸時代初期の溝分布状況
図5-2-4 汐留遺跡で検出された土留め工法
図5-3-1 「武州豊島郡江戸庄図」(部分)
図5-3-2 玉川上水羽村取水口付近の図『上水記』2(部分)
図5-3-3 玉川上水配水図(部分)
図5-3-4 『上水記』5
表5-3-1 天保4年(1833)樋枡御普請組合入用内訳帳
図5-3-5 玉川上水赤坂柳堤田町三丁目より五丁目樋枡御普請絵図
図5-3-6 補強された樋の連結イメージ図
図5-3-7 板の矧ぎ合わせ説明図
図5-3-8 銅鉄金具之部『和漢船用集』(部分)
図5-3-9 玉川上水幹線樋請杭木の様子
図5-4-1 鯰絵「太平安心之為」
図5-4-2 (汐留遺跡)脇坂家屋敷跡遺跡 土層堆積状況
図5-4-3 重層する焼土層―伊勢菰野藩土方家屋敷跡遺跡
図5-4-4 面的に広がる焼土―汐留遺跡
図5-4-5 増上寺子院群―源興院跡―火山灰検出状況
図5-5-1 「江戸麻布御屋敷土地割差図」明和9年(1772)~安永2年(1773)頃
表5-5-1 港区域の大名屋敷
図5-5-2 港区域の大名屋敷
図5-5-3 江戸麻布屋敷土地割差図(描き起こし)
表5-5-2 長州藩江戸詰人の構成(延享3年)
表5-5-3 長州藩麻布屋敷への出入商工業者
図5-5-4 谷文二「江戸麻布邸遠望図」
図5-5-5 「今井谷市兵衛町赤坂全図」『江戸切絵図』尾張屋版 慶応元年(1865)
図5-6-1 『江戸勤番之図』(部分)
図5-6-2 『江戸勤番之図』(部分)
図5-6-3 『江戸勤番之図』(部分)
図5-6-4 湯屋の2階『賢愚湊銭湯新話』
図5-6-5 酒井伴四郎江戸日記の表紙と本文(湯屋・部分)
図5-7-1 汐留遺跡遠景
図5-7-2 武州豊嶋郡江戸庄図(寛永江戸図)にみる播磨龍野藩脇坂家の屋敷の位置(部分)
図5-7-3 播磨龍野藩脇坂家屋敷跡遺跡の土層堆積状態(部分)
図5-7-4 脇坂家屋敷庭園跡平面図
図5-7-5 塀の基礎
図5-7-6 池のほとりで検出された樹木の根
図5-7-7 地下室
図5-7-8 脇坂家屋敷 漆器・椀
図5-7-9 脇坂家屋敷 塵芥溜め出土の陶磁器・土器
図5-7-10 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡検出の地鎮遺構(上)と地鎮具(下)
図5-8-1 『天保武鑑』三 天保2年(1831) 須原屋版
表5-8-1 森山孝盛の経歴
図5-8-2 『森山孝盛日記』の表紙と本文(寛政2年11月11日の条)
図5-8-3 『肖像集』
図5-8-4 「自家年譜」安永7年8月26日の条
表5-8-2 松平定朝の職歴
図5-8-5 『花菖培養録』嘉永6年(1853)
図5-9-1 「台徳院御霊屋絵図」(複製)
図5-9-2 『三縁山志』1・2
表5-9-1 歴代徳川将軍と葬地
図5-9-3 「三縁山廣度院増上寺絵図」
図5-9-4 台徳院霊廟配置図(部分)
図5-9-5 台徳院霊廟拝殿正面
図5-9-6 文昭院拝殿の図
図5-10-1 天徳寺墓所の遠景
図5-10-2 6代将軍家宣の墓(宝塔)
図5-10-3 6代将軍家宣の墓(宝塔・石室)の断面図
表5-10-1 文化5年(1808)段階における港区内に所在した主な大名菩提寺
図5-10-4 牧野忠敬墓 宝篋印塔実測図
図5-10-5 牧野忠敬墓 石室断面模式図
図5-10-6 旗本三井家の墓標
図5-10-7 旗本三井家の甕棺
図5-11-1 文化12年(1815)「氷川大明神御祭礼」(『江戸御祭礼番付』の内・部分)
表5-11-1 現在の港区域に所在した江戸時代の神社
図5-11-2 氷川明神絵図(「江戸城内并芝上野山内其他御成絵図」・部分)
表5-11-2 赤坂氷川社の氏子町一覧
図5-11-3 赤坂氷川明神社の氏子町
図5-11-4 現存する山車人形「頼義」
図5-12-1 上行寺跡・上行寺門前町屋跡遺跡の遺構検出状況
図5-12-2 『江戸名所図会』にみる上行寺周辺
図5-12-3 上行寺跡・上行寺門前町屋跡遺跡 遺構全体図
図5-12-4 『諸宗作事図帳』に描かれた上行寺境内
図5-12-5 「上行寺」の線刻(上)のある地下室(下・459号遺構)
図5-12-6 鍋島焼
図5-12-7 磁器御所茶碗(部分)
図5-12-8 俳人・宝井其角の墓 『新撰東京名所図会』
図5-13-1 「火之元厳重の掟書を張出諸人ニ知らしむる処の図」『藤岡屋日記』第37
図5-13-2 『藤岡屋日記』第37
表5-13-1 月番箱の帳面
図5-13-3 『類集撰要』巻49、旧幕引継書
表5-13-2 寛政期の名主勤務評定
表5-13-3 現在の港区域の町から選出された優良名主
図5-14-1 「増補改正 芝口南西久保愛宕下之図」(安政2年[1855]冬増補改正、尾張屋版・部分)
表5-14-1 「町方書上」にみる神谷町の町屋敷数
図5-14-2 「第二大区沽券地図(第二大区六小区)」 明治6年(1873)
図5-14-3 神谷町内の町屋敷トレース図
表5-14-2 明治6年「沽券図」における神谷町の土地所持状況
図5-14-4 拝領町屋敷の内部構造『町会所一件書留』(部分)
図5-14-5 神谷町『大竹左馬太郎地面住人人別帳』(部分)
表5-14-3 大竹拝領町屋敷住人の階層構造
表5-14-4 大竹拝領町屋敷住人の職業構成
図5-15-1 「東京湾之図」『東京府管内水産図説』一
図5-15-2 「芝三田二本榎高輪辺絵図」(部分) 嘉永3年(18 50)
図5-15-3 芝蝦流網『東京府管内水産図説』一
図5-15-4 歌川広重『魚尽』の内 芝海老の図(部分)
表5-15-1 江戸の魚市場と魚問屋
図5-15-5 「浜御殿より品川新宿迄江戸往還道絵巻」 明和3年~8年(1766~1771)
図5-15-6 芝雑魚場周辺図
図5-16-1 歌川広重「東都三十六景 高輪海岸」
表5-16-1 和宮入輿御用牛牽人足
図5-16-2 歌川広重「東都名所 高輪の夕景」
図5-16-3 「麻布一本松」『江戸名所図会』
図5-16-4 「神田明神祭礼」『江戸名所図会』
図5-17-1 芝田町五丁目町屋跡遺跡検出の炉跡
図5-17-2 芝田町五丁目町屋跡遺跡検出炉跡の小孔と横穴
図5-17-3 芝田町五丁目町屋跡遺跡出土の鋳造関係資料
図5-17-4 『江戸買物独案内』(部分)
図5-17-5 「増上寺文昭院殿御霊屋前御銅燈籠并石燈籠建場之絵図」
表5-17-1 狭山山不動寺に残存する銅燈籠製作鋳物師一覧
図5-17-6 増上寺・文昭院霊廟に設置された銅燈籠
図5-18-1 「品川台場絵図」天保9年(1838)水野家文書
図5-18-2 品川台場築造位置推定図
図5-18-3 品川台場構造模式図
図5-18-4 第三台場東南隅の石垣積みの様子
図5-18-5 内海三番御台場全図(上・下)
図5-19-1 東禅寺の山門
図5-19-2 渓斎英泉「東都麻布山善福寺境内之図」
図5-19-3 御殿山のオランダ公館の平面図
図5-19-4 高輪接遇所
5章コラム
■増上寺宝物展示室
6章
扉図 明治33年(1900)の新橋停車場(部分)
図6-1-1 「実測東京全図」明治11年(1878)
図6-1-2 江戸開城西郷南洲勝海舟会見之地
図6-1-3 桜田本郷町御成門附近街路工事『復興事業進捗状況 昭和4年12月末現在』
図6-1-4 「東京港の一部芝浦」『大東京写真帖』
図6-2-1 三代広重「東京名勝芝大門之図」
図6-2-2 三代広重「高輪大木戸」『東京名勝図会』1868年
図6-2-3 三代広重「御酒頂戴」
図6-2-4 赤坂離宮正門『皇室写真帖』
図6-2-5 赤坂離宮玄関『皇室写真帖』
図6-3-1 「永福東京御絵図」
図6-3-2 「嘉永改正御江戸大絵図」(部分・加工)嘉永元年(1848)改正(左)と「実測東京全図」(部分)明治11年(1878)(右)
図6-3-3 百人組同心大縄足地(青山霊園立山墓地)と郡上藩青山家下屋敷(青山霊園)の位置
図6-3-4 青山共葬墓地の図『新撰東京名所図会』
図6-3-5 鍋島家麻布墓所
図6-3-6 「東都麻布之絵図」(『江戸切絵図』尾張屋版、部分・加工)にみる佐賀藩抱屋敷
図6-4-1 「東京小学校教授雙録」(明治10年[1877])
図6-4-2 芝増上寺源流院
図6-4-3 鞆絵小学校卒業生
図6-4-4 旧桜小学校書棚
図6-4-5 第三中学区第3番小学赤坂学校
図6-4-6 開校当時の芝学校(現在の芝小学校)
図6-5-1 三田演説館
図6-5-2 勝海舟の肖像
図6-5-3 勝安房邸跡碑
図6-5-4 福澤諭吉の肖像
図6-5-5 福沢・近藤両翁学塾跡碑
図6-5-6 慶應義塾構内福澤先生居宅の遠景(『東京景色写真版』明治26年)
図6-5-7 近藤真琴の肖像
図6-6-1 0哩標識と復元軌道
図6-6-2 開業直前の新橋停車場(明治5年[1872])
図6-6-3 井上勝の肖像
図6-6-4 新橋停車場之図(明治34年[1901])
図6-6-5 汐留駅俯瞰写真(昭和40年代)
図6-6-6 汐留遺跡 出土汽車土瓶
図6-7-1 旧東京市麻布区役所庁舎(現在の日本獣医生命科学大学1号棟、東京都武蔵野市)
図6-7-2 「東京大絵図」
図6-7-3 旧芝区役所
図6-7-4 現在の安養院
図6-7-5 旧麻布区役所
図6-7-6 現在の龍澤寺境内
図6-7-7 旧赤坂区役所
図6-7-8 現在の高橋是清翁記念公園
図6-8-1 赤羽工作分局『製造機械品目』(東京赤羽工作分局、1881年)
表6-8-1 『工場通覧』(明治35年)にみる港区の工場
図6-8-2 芝浦製作所『日露戦争記念 日本商工大家集』(大阪新報社、1906年、部分)
図6-8-3 芝製造所全景と傾斜式炉『創立廿五年記念写真帖』(東京瓦斯株式会社、1910年)
図6-8-4 村田水産翁碑
図6-9-1 日露戦争・新橋停車場前の凱旋門
表6-9-1 日清戦争における港区所在各部隊出征・凱旋一覧
表6-9-2 日露戦争における港区所在各部隊出征・凱旋一覧
図6-9-2 芝区兵事義会の戦死者葬儀通知書 明治38年文書類纂・臨時・日露戦役第1巻・第4種(部分)
図6-9-3 日比谷焼打事件
図6-9-4 焼かれた新橋派出所
図6-10-1 第一師団歩兵第三連隊兵舎の模型
図6-10-2 「四谷」『一万分一東京図』 明治42年測図 大正10年第二回修正測図 大正14年部分修正(部分)
図6-10-3 「三田」『一万分一東京図』 明治42年測図 大正10年第二回修正測図 大正14年部分修正(部分)
図6-10-4 近衛歩兵第三連隊の兵営(上)と赤坂一ツ木通り(下)
図6-10-5 旧乃木邸
図6-10-6 満州(中国東北部)移駐のため麻布狸穴通りを品川駅に向けて行進する歩兵第一連隊
図6-10-7 レイテ島オルモックに上陸する第一師団
表6-10-1 東京都下における旧軍用地並に旧軍用建物調査(1948年9月現在)
図6-11-1 火災延焼状況
図6-11-2 新橋停車場の残骸
図6-11-3 麻布箪笥町の倒壊家屋
表6-11-1 東京市の各区別焼失面積
図6-11-4 芝増上寺境内の炊き出し
図6-11-5 芝離宮内バラック配置図
図6-11-6 芝離宮内バラック
図6-11-7 芝浦埋立地から船に乗って関西方面に避難する人たち
図6-11-8 救援物資の一大集積所・芝浦埋立地
図6-11-9 麻布方面の自警団
図6-12-1 港区立伝統文化交流館
図6-12-2 巨船が横着けになる芝浦港『大東京写真帖』
図6-12-3 隅田川を飾る新二橋『大東京写真帖』
図6-12-4 愛宕トンネル 杉山鏡介「愛宕隧道開鑿工事に就て」
図6-12-5 愛宕山放送所全景(設立当時)
図6-12-6 新橋交差点
図6-12-7 「帝都復興完成式式場」(昭和5年3月26日)
図6-13-1 東京市連合防護団機関誌『空の護』創刊号
図6-13-2 芝区の防護団
図6-13-3 事件の発生を知らせる号外
図6-13-4 高橋是清翁記念公園(上)と高橋是清翁像(下)
図6-13-5 戦闘区域付近住民への注意事項
図6-14-1 バケツと濡れムシロによる消火方法『隣組防空絵解』
図6-14-2 『焼夷弾』
図6-14-3 焼夷弾の残骸
図6-14-4 1945年5月24日の空襲で瓦礫と化した一之橋周辺(部分)
表6-14-1 港区域の戦災被害
図6-14-5 赤坂区役所付近の焼け跡
図6-14-6 増上寺五重塔
6章コラム
①グランドプリンスホテル高輪 貴賓館(旧竹田宮邸洋館、建築年:明治40年代)
②日本基督教団高輪教会 教会堂(建築年:昭和8年)
③高輪消防署二本榎出張所(旧高輪消防署、建築年:昭和8年)
④学校法人明治学院 礼拝堂(建築年:大正5年)
⑤東京都庭園美術館(旧朝香宮邸、建築年:昭和8年)
⑥慶應義塾大学 図書館旧館(建築年:明治45年)
⑦迎賓館赤坂離宮(建築年:明治42年)
⑧旧乃木邸・馬小屋(建築年:明治22年)
⑨安藤記念教会 教会堂(建築年:大正6年)
7章
扉図 港区空撮写真
図7-1-1 終戦直後の新橋上空からの航空写真
図7-1-2 東京タワー(昭和42年頃)
図7-1-3 東京港連絡橋
図7-1-4 JR高輪ゲートウェイ駅
図7-1-5 旧協働会館(平成10年撮影)
図7-2-1 新橋駅西口の闇市 昭和21年(1946)2月13日
図7-2-2 新橋駅西口の闇市 昭和21年(1946)2月13日
図7-2-3 新橋駅西口の闇市の看板
図7-2-4 ニュー新橋ビル
図7-2-5 1961年当時の新橋西口の建物位置図
図7-3-1 港区本庁舎(旧芝区役所)
図7-3-2 旧麻布支所
表7-3-1 1947(昭和22)2月12日付東京新聞による新区の名称候補
図7-3-3 旧赤坂支所(昭和41年)
図7-3-4 新生港区の区議会議員と理事者
図7-3-5 港区紋章と紋章製図法(昭和24年[1949]制定、昭和24年7月30日港区告示第百一号)
図7-4-1 六本木交差点の記念碑「奏でる乙女」
図7-4-2 土地区画整理前の六本木
図7-4-3 整理後の六本木
図7-4-4 麻布組合設計図
図7-4-5 パティオ十番
図7-5-1 建設途中の東京タワー
図7-5-2 「世界の塔の高サくらべ」
図7-5-3 タワー建設前の敷地
表7-5-1 港区内戦後主要建築物(床面積200坪以上)出願数(都建築局指導部)
図7-5-4 堀ビル
図7-5-5 外堀通り沿いの8、9階建てのビルのスカイライン
図7-5-6 日本財団ビル
図7-5-7 霞が関ビルディング
図7-6-1 拡幅工事中の青山通り
図7-6-2 オリンピック施設配置・関連街路図
図7-6-3 青山通り南側連続立面図の変遷(1960、1972、1984年)
図7-6-4 青山北町五丁目市街地住宅
図7-6-5 現在の北青山三丁目市街地住宅
図7-7-1 昭和37年(1962)頃の雑魚場
図7-7-2 東京湾図
図7-7-3 芝海漁舟(『東海道名所図会』より)
図7-7-4 「東京湾漁場図」(部分)
図7-7-5 芝浦仮設魚市場
図7-7-6 埋立て造成の計画と漁場
図7-7-7 古川河口に浮かぶ屋形船
図7-7-8 台場周辺の遊船の様子
表7-7-1 現在の漁業協同組合
図7-8-1 明治二十九年東京湾築港設計全図
図7-8-2① 芝浦運河と東京港の船溜まりの風景
図7-8-2② 五色橋倉庫(現在の第一東運ビル)外観
図7-8-2③ 五色橋倉庫荷役フロー図
図7-8-3① 竹芝橋倉庫(現在の第三東運ビル)外観
図7-8-3② 竹芝橋倉庫断面図
図7-8-4① ジュリアナ東京内観
図7-8-4② ジュリアナ東京外観
図7-8-5① Warehouse Market Tokyo 「CONTAINER」
図7-8-5② 空気のグロッタ
図7-9-1 まちづくりの骨組み図
図7-9-2 港区の12の領域ダイアグラム
図7-9-3① 快適な道路・交通ネットワークの形成(方針図)
図7-9-3② 良好な居住環境と国際ビジネス拠点の形成の両立(方針図)
図7-9-4 港区が目指す将来都市構造図
図7-9-5① 緑と水の豊かなうるおいの創出(方針図)
図7-9-5② 環境負荷の少ない都市の形成(方針図)
図7-10-1 公衆衛生院略設計図(部分)
図7-10-2 港区立郷土歴史館全景
図7-10-3 港区立郷土歴史館正面
図7-10-4 中央ホール・改修後
図7-10-5 旧図書閲覧室・改修後
図7-10-6 旧院長室
図7-10-7 旧講堂・改修後
表7-10-1 港区文化財総合目録登載文化財件数
7章コラム
青山通りを進む開会式当日の聖火リレー
A. 新広尾町三丁目から望む天現寺橋方面
昭和37年(1962)
令和2年(2020)
B. 二之橋中継地点付近
昭和37年(1962)
令和2年(2020)
C. 中之橋都電停留所付近
昭和37年(1962)
令和2年(2020)
D. 芝公園野球場前中継地点
昭和39年(1964)
令和2年(2020)
E. 有章院霊廟二天門前
昭和39年(1964)
令和2年(2020)
F. 田村町一丁目交差点
昭和37年(1962)
令和2年(2020)
■港区立郷土歴史館常設展の近現代展示
旧桜小学校書棚
芝橋あたりの交通とまち
・図版一覧の図版名は、本文中の図版名を一部省略している場合があります。
・本書に掲載した図・写真等は、原則として掲載許諾をいただいたものですが、一部の図・写真については、もともと掲載されていた出版物発行元の廃業、解散により、写真の撮影者、図の作成者など、ご提供者と連絡がつかなかったものが一部含まれています。お気づきの点がございましたら、港区総務課までご連絡くださるようお願いいたします。