上巻

 
常磐公園攬勝圖誌(ときはこうえんらんしやうづし)上巻
             水戸 松平俊雄編述
   總説(そふせつ)
偕楽園(かいらくえん)は我(わが)水戸景山(みとけいざん)の公(きみ)の設(もふ)けられたる囿園(そのふ)にして水(み)
戸(と)城西(じやうせい)弐拾餘町(じふよてう)東茨城郡(ひかしいはらきこふり)常磐(ときは)てふ邑(むら)に在(あ)りそも/\
此公(きみ)の政績(いさほし)は遍(あまね)く世人(せじん)の知(し)る所(ところ)にして今(いま)くた/\しふ記(しる)さんも
煩(わつら)はしけれは黙止(もくし)つ唯(たゞ)此園(その)の就(な)れる始(はじ)め終(おは)り見(み)もし聞(きゝ)
もしつる事(こと)ども書列(かきつら)ね将(はた)其(その)土地(ところ)のさまをも寫(うつ)しおさめ
て貮卷(ふたまき)とし遠近(おちこち)人(ひと)の杖(つえ)を曳(ひき)て此園(その)に遊(あそ)ひぬる土産(いえつと)に頒(わか)
ち與(あた)へまほしく斯(かく)はものしつ偖(さて)此園(その)の開(ひら)きそめしは往(いん)じ
天保(てんほ)十一年庚子(かのへね)公(こう)封土(くに)に就(つか)せ給(たま)ひてより稜威(みいつ)の四方(よも)にと
どろき脩文講武(ぶんをおさめぶをこふじ)よろつの業(わざ)をおしへ導(みちび)き民(たみ)を撫育(ぶいく)し
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東北(とうほく)より偕楽園(かいらくえん)を
望(のぞ)む図(づ)
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表門(おもてもん)
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中門
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農(のふ)を勵(はげ)まし衆庶(たみ)其(その)恵(めぐ)みを被(かうふ)りて各(おの/\)鼓腹(こふく)の楽(たのし)みをきはめ
ざるはなかりき又風雅(みやび)の道(みち)にも御志(みこヽろさ)し深(ふか)く此地(ち)に屡(しは/\)逍遥(せうよふ)
せられ山水の浄(きよ)く妙(たへ)なるに愛(めて)て此處(ところ)に殿造(とのつく)りせられん
事思(おほ)したちて親(みつか)ら其図(かた)を畫(ゑが)きて土木(どぼく)の事何(なに)くれとなく
ねもころに教(おし)へさとされ同十二年丑五月中旬(なかは)より十三
年寅七月に至(いた)り経営(けいゑい)全(まつた)く就(なり)て亭(てい)を好文楼(こうぶんろふ)をは楽壽(らくじゆ)と
呼(よば)せ給ひ又其事実(じじつ)をは碑(いしふみ)に鑴(ゑ)りて園中(えんちう)に建(たて)られ永(なか)く遊(ゆふ)
息(そく)の地(ち)と定(さだ)めらる當時(そのかみ)此地に七面(しちめん)の祠(やしろ)ありしを西隣(さいりん)見川(みかは)
村妙雲寺(めううんじ)といへるに迁(うつ)し又其近(ちか)き邊(ほと)りに常磐邑(ときはむら)の畑地(はたち)
有しをも換地(かへち)賜(たまは)りて一郭(くわく)に籠(こめ)られ梅樹(ばいじゆ)数千株(すせんしゆ)をうつしまた
芝生(しはふ)へは秋萩(あきはぎ)幾根(いくもと)となく植付(うえつけ)て漢土(からくに)の賢(かしこ)き人の言葉(は)に
源(もとつ)き偕楽園(かいらくえん)とは号(なつ)けらる是(こ)は東武(とうぶ)の水戸邸なる後園(こうえん)を
西山公(せいさんこう)の後楽(こうらく)と呼(よは)せられしに因(ちな)まれけるにや明治の御(み)
代(よ)となりて藩(はん)を廃(はい)し此地(ち)も宦(おふやけ)に収(おさ)む然(さ)るを公の遺蹟(ゐせき)
を不朽(ふきふ)に傳(つた)へまほしく同六年朝廷(てふせい)の御許(みゆるし)を受(うけ)て公園(こうえん)と
はなりぬされは司園吏(そのもりのやく)を置(おき)て苑中(えんちう)の事取扱(とりあつか)はせ總(すへ)て
舊時(きうじ)の侭(まゝ)にして改(あらた)めす同十六年更(さら)に維持(ゆいじ)の法(ほふ)をもふけ
縣廰(けんてふ)の職員(しよくゐん)商議(しやうぎ)して各(おの/\)俸給(ほうきう)の内幾分(いくぶん)を募(つの)り以て修繕(しゆぜん)
の料(りやう)にそのふ又春秋(しゆんじふ)二季(き)職員(しよくいん)好文亭(こうぶんてい)に會(くわい)して宴(ゑん)を開(ひら)
く是を楽壽會(らくじゆくわい)と名付(なつけ)恒例(こうれい)とはなしぬ
好文亭(こうぶんてい)表門(おもてもん)  戌(いぬ)亥(ゐ)に向(むか)ふ前(まえ)は筑波(つくは)街道(くわいどふ)にして川和田(かはわた)
 鯉渕(こいふち)宍戸(しゝど)等(とう)への通路(つうろ)とす門(もん)より内正面(せうめん)に木戸(きと)あり是(これ)を
 入りて中門迠の間(あいた)凡弐百間許(ばかり)道(みち)の左右杉林(すぎのはやし)にしてその
 罅(あいた)所〻(しよ/\)と竹篂(たけやぶ)あり往年(わうねん)此園(ゑん)を開かれしおり山城州(やましろのくに)男山(おとこやま)
 の竹(たけ)をうつされしといふ又表門(おもてもん)の内左右土塁(どるい)のうえに
 繁茂(はんも)せる矢篠(やしの)も同時(どうじ)に植付(しよくつけ)られたるものにして武用(ぶよう)
 の一途(と)にそなへられしとなり[當時此竹を用ひて弓箭を製せら/れたる事もありしと聞けり]
中門 横(よこ)九尺許(はかり)葭茅茸(あしかやふき)西(にし)にむかふ門(もん)を入(い)りて右の方(かた)は
 玄關(げんくわん)跡地(あと)にして左りは梅林(ばいりん)及(およ)び植物園(しよくぶつえん)なり正面(せうめん)に園(えん)
 内(ない)入口の木戸(きど)あり建家(たてや)はすへて弐拾餘(よ)棟(むね)有て半ばは上
 市(いち)柵町(さくまち)にありし別殿(べつでん)を引(ひか)せられしものなりしが其後(のち)公園(くわうえん)
 となりしより是迠破壊(はかい)せし場所(ばしよ)をは撤毀(とりこほ)ち修繕(しゆぜん)の
 料(れう)を省(はぶ)かれ今は其三か一を残(のこ)せり
偕楽園(かいらくえん)の碑(ひ) 玄関前(げんくわんまへ)の木戸(きど)を入て少(すこし)く阪路(はんろ)を下(お)り又南
 に折(お)れ凡そ三拾間(けん)ばかりにして碑石(ひせき)の前(まへ)にいたる自然(じねん)
 の平石(ひらいし)にして髙サ八尺三寸横(よこ)八尺石質(せきしつ)堅硬(けんかう)にして色(いろ)靛(あほ)
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玄関(げんくわん)
 今廃(はい)す
 こゝには
 舊時(きうじ)の景(さ)
 況(ま)を図(づ)す
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黒碑面(ひめん)は篆書(てんしよ)にして六百拾字(じ)を刻(こく)す上の方に古篆(こてん)
にて偕楽園記(かいらくえんき)の四大字(じ)を題(だい)す周囲(めぐり)に梅樹(ばいじゆ)の摸様(もよう)を画(えが)
き背(うら)に園中(えんちふ)の禁條(きんでふ)を掲(かゞ)く景山公(けいざんこう)の撰文(せんぶん)にして書(しよ)も同(どう)
公(こふ)の筆(ふで)なり
 
篆額(てんがく)
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(略)
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偕楽園(かいらくえん)の碑(ひ)
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偕楽園(かいらくえん)
 
園中より東
南の間千湖
を平臨する

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碑(ひ)背面(はいめん)
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偕楽園(かいらくえん) 碑石(ひせき)の前(まへ)を東(ひかし)に出(いつ)れは總(すへ)て苑中(えんちう)にして東北(とふほく)の間(あいた)
 は皆(みな)梅林(ばいりん)なり東西(とふさい)凡(およ)そ弐百間(けん)南北(なんぼく)六七拾間(けん)許(はかり)にして梅樹(ばいじゆ)
 五千餘株(よしゆ)に及(およ)へり南(みなみ)の方(かた)は数(す)千歩(ほ)の芝生(しはふ)にして秋萩(あきはき)或(あるい)は
 種々(しゆ/″\)の樹木(じゅもく)を植並(うえなら)へて春秋(しゆんしう)の眺(なが)め最(いと)妙(たへ)なり就中(なかんつく)萩(はき)躑躅(つゞじ)
 をもて壮觀(そふくわん)とす東(ひかし)は常磐神社(ときはじんじや)の境外(けいがい)に接(せつ)し西(にし)は嶮岨(けんそ)に
 して下(しも)に一條(でふ)の通路(つうろ)を開(ひら)き桜川(さくらかは)の流(なか)れに臨(のそ)む又崖上(がいせう)に十
 株(しゆ)の老松(ろうしやふ)ありて其下に石造(せきぞう)の碁将棋盤(ごしやふきばん)弐面(めん)を設(もふ)けて観(くわん)
 客(かく)の游戯(ゆふげ)に供(きやう)す号(なつ)けて仙奕臺(せんえきだい)といふ此ほとりより東(とう)
 南(なん)の間(あいた)千湖(こ)を平臨(へいりん)するに碧水(へきすい)渺茫(べうばふ)として妙法崎(めうはふさき)梅戸崎(うめとかさき)
 は北岸(ほくがん)に沿(そ)ふて常磐山(ときはさん)の深林(しんりん)に連(つらな)り三魂(みたま)ヶ崎(さき)は東岸(とうがん)に
 在(あり)て濱田(はまた)の市坊(しばう)及(およ)ひ藤柄(ふちがら)の人家(じんか)を控(くう)す吉田(よした)の杜(もり)笠原(かさはら)
 山(やま)は南岸(なんがん)にありて静瀲(せいれん)緑(みとり)を涵(ひた)し又遥(はる)かに磯濵(いそはま)の松原(まつはら)を
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園中(えんちう)東南より
楽壽楼(らくじゆろふ)を望(のぞ)む
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仙奕臺(せんゑきだい)
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八景(はつけい)の碑(ひ)
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 望(のそ)む西(にし)に顧(かへり)みれは緑(みとり)か岡(おか)の蒼松(そうせう)欝々(うつ/\)として桜川(さくらかは)の清流(せいりふ)
 其(その)南麓(なんろく)をめくり直(たゝ)ちに園下(えんか)を經(へ)て東流(とうりう)し湖(こ)に注(そゝ)く筑(つく)
 波(ば)葦穗(あしほ)の遥巒(えうらん)連(つらな)りて晩霞(ばんか)の表(おもて)に聳(そび)え白雲(はくうん)岡(おか)に對(むか)
 ひて彌生(やよひ)の爛漫(らんまん)たるを觀(み)る就中(なかんづく)中秋(ちうしう)の月(つき)白妙(しろたへ)の雪(ゆき)
 の晨(あした)は其(その)眺(なが)めことさらにいわんかたなく凡(およ)そ騒人(そうじん)墨客(ぼくかく)の
 眼(め)を娯(たのし)ましめ心(こゝろ)をなくさむるもの皆(みな)顧回(こくわい)一瞬(しゆん)中(ちう)にあり
八景(けい)の碑(ひ) 仝所(どうしよ)南(みなみ)の崖下(がけした)に在(あり)自然石(じねんせき)にて高(たかさ)四尺五寸幅(はゞ)三尺
 七寸景山公(けいざんかう)の隷体(れいたい)にて書(かゝ)れたる仙湖暮雪(せんこぼせつ)の四大字(じ)を刻(こく)
 す公(こう)嘗(かつ)て瀟湘(しやうぜう)の八景(けい)に擬(なら)ひ封内(ほふない)の勝地(しやうち)を撰(えら)ひ各所(かくしよ)に八
 景(けい)を置(お)く此地(ち)則(すなは)ち其(その)一に居(お)れり所謂(いわゆる)八景(はつけい)は廣浦秋月(ひろうらのあきのつき)[東茨城郡(ひかしいはらきこふり)/下石嵜(しもいしさき)村] 岩舩夕照(いわふねのせきしやう)[同郡(どふぐん)/磯濵(いそはま)村] 仙湖暮雪(せんこのぼせつ)[同郡/常磐(ときは)村] 水門(みなとの)
 帰帆(きはん)[那珂郡(なかこふり)/湊(みなと)村] 村松晴嵐(むらまつのせいらん)[同郡(とうぐん)/村松(むらまつ)村] 青栁夜雨(あをやきのよるのあめ)[同郡(どうぐん)/青栁(あほやき)村] 太田落(おほたのらく)
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苑下(えんか)桜川(さくらかは)の流(なが)れに
沿(そ)ふて舩蔵(ふなくら)を設(まふ)け
常(つね)に遊舩(ゆうせん)弐艘(そう)を浮(うか)
べ釣魚(てうきよ)網引(あひき)又鷹狩(たかがり)
等(とう)の用(よふ)に供(きやう)せられし
が今(いま)廃(はい)せり
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 雁(がん)[久慈郡/太田町] 山寺晩鐘(やまてらのはんしやう)[同郡/稲本村] 等(とう)なり 右題字(だいし)を表(へう)せし碑石(ひせき)
 今に現存(げんそん)す
躑躅(つゝじ) 八景(けい)の碑石(ひせき)より西(にし)の方(かた)桜川(さくらかは)の流(なか)れにそひて梅林(ばいりん)の裏(うら)
 を行(ゆ)く事凡一町餘(よ)にして又北(きた)に轉(てん)じ坂路(はんろ)を上(のぼ)り園内(えんない)入(いり)
 口の木戸(きど)有(あり)それより内(うち)躑躅(つゞじ)幾根(いくもと)となく道(みち)の左右(さゆふ)を挟(はさ)
 みて岩(いわ)につき石(いし)に傍(そ)ふて大(おゝ)なるは其丈(そのたけ)七八尺に至(いた)るもの
 あり霧島(きりしま)さつき黄躑躅(きつゝじ)絞(しほり)其他(た)種類(しゆるい)多(おゝ)くして四月(うつき)
 中旬(なかば)より其(その)花(はな)咲(さき)そめて紅白(こうはく)互(たがい)に色を竸(きそ)ひ一時(じ)の壮觀(そふくわん)也
 [此内紫躑躅(むらさきつゝじ)は花形(くわぎよう)尋常(じんぜう)のものより大にして世に珎(めつ)らし這(こ)は天保中公日光(につくはう)
 社参(しやさん)のおり同地(とうち)よりもたらし來(きた)り苑中(えんちう)に植(うへ)しめられしとなり]
吐玉泉(とぎょくせん) 好文亭(こうぶんてい)の前(まへ)より西(にし)の坂路(はんろ)を曲折(きょくせつ)して降(くだ)る事凡(およそ)
一町半程(ほと)にして方七八間計(ばかり)平坦(へいたん)の地(ち)あり中央(ちうわう)に寒水石(かんすいせき)を
彫穿(ほりうが)ちて造(つく)りたる井筒(いつゝ)を設(もふ)け径(わた)り四尺高(たか)サ三尺厚(あつ)サ六寸三
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躑躅(つゞじ)
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 分底(そこ)に礫(こいし)を敷詰(しきつめ)正中(まんなか)に銅管(どうくわん)ありて清泉(せいせん)湧出(ゆしゅつ)す常(つね)に
 井筒(いつゞ)より溢(あふ)れて側(かたは)らなる溝渠(くわうきよ)に入(い)り田畞(でんほ)の用水(いやうすい)となる
 寒暑(かんしよ)増減(ぞふげん)なし元(もと)此地(ち)に七面(しちめん)の社(やしろ)ありし頃杉(すき)の大樹(たいじゆ)有
 てその根(ね)かたより湧出(ときいて)て眼疾(がんしつ)を患(うれ)ふる者(もの)此泉(いつみ)に涵(ひた)し
 て効験(かうげん)ありと云傳(いゝつた)ふ其後(のち)杉(すき)も朽倒れ(くちたを)此邉(ほと)りいたく荒(あれ)て
 尋(たつぬ)る人も稀(まれ)なりしか偕楽園(かいらくえん)を開(ひらか)れたる折(おり)荊棘(けいきょく)を芟(か)り
 除(のぞ)きて今の如(ごと)く井筒(ゐつゝ)をすへ飲料(いんれう)に用(もち)ひらるゝ事(こと)には成
 りしといふ此地(ち)もとより幽邃(ゆふすい)にして松杉(せうさん)蓊欝(おふうつ)として枝(えた)を
 交(まじ)へ常(つね)に日光(につくわう)を遮(さへき)り暑(しよ)を避(さく)るに最(もつと)も宜(よろ)し
杜若(かきつはた) 白蓮(しろはす) 吐玉泉(とぎよくせん)へ到(いた)る路(みち)の左(ひたり)少(すこし)く池(いけ)の形(かたち)を作(つく)り杜若(かきつはた)幾(いく)
 種(しゆ)をうえ又其側(かたはら)なる溝渠(ほり)に白蓮を多(おゝ)く植(うえ)らる又路(みち)より
 右の方に黄桜(きさくら)一株(ひともと)あり是(これ)は温暖(おんだん)の地(ち)にあらざれは生長(せいてう)せ
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吐玉泉(とぎよくせん)
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 す故(ゆへ)に駿遠参(すんえんさん)の間(あいた)に多(おゝ)く北地(ほくち)には稀(まれ)なり世人(せしん)その
 色(いろ)の異(こと)なるをもて是(これ)を賞(しやう)せり然(しか)れとも尋常(よのつね)の花(はな)の
 艶(えん)なるに如(しか)す
好文亭(こうぶんてい) 園(えん)の中央(ちうおふ)にあり東西(とうさい)六間(けん)南北(なんほく)三間(けん)中央(なか)より區別(くべつ)し
 東(ひかし)の方(かた)三間(けん)四面(めん)は總板敷(そういたじき)なり西(にし)の方(かた)三間(けん)四面(めん)畳敷(たゝみしき)其中(そのうち)
 六畳(でう)一間(ひとま)を仕切(しき)りて上段(じやうだん)とす其餘(そのよ)は南(みなみ)より北(きた)に折(おり)まはして
 入側(いるかは)なり表(おもて)の方(かた)承塵(なげし)の上に好文亭(こうぶんてい)の三字を篆書(てんしよ)にて
 かゝれたる扁額(へんがく)を掲(かゝ)く景山公(けいざんこう)の親筆(しんひつ)なり此間(ま)の後背(うしろ)に
 三室(しつ)ありて東板敷(ひかしいたしき)の間(ま)と相通(あいつう)し此(こゝ)より階梯(かいてい)有て楼上(ろうせふ)
 に到(いた)る西(にし)に續(つゝ)ける一間(ひとま)は南北(なんほく)へ六間東西(とうさい)へ三間(けん)總板敷(そういたしき)なり
 天井(てんぜふ)は杉皮(すきかは)の網代(あじろ)を用(もち)ゆ是より北(きた)に一室(いつしつ)あり九尺四面(しめん)に
 して南向(みなみむき)に床(とこ)有(あり)其(その)左(ひだ)りに茶室(ちやしつ)へかよふ入口(いりくち)ありて承塵(じやうちん)の上(うえ)
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好文亭(こうぶんてい)
樂壽楼(らくじゆろふ)
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亭中眺望(ていちふてふぼう)
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樂壽楼正面
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何陋庵(かろうあん)
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 に對古軒(たいこけん)の圓額(えんがく)あり是又同公(どうこう)の書なり是より内(うち)板敷(いたじき)
 にして左の方(かた)は茶室(ちやしつ)なり九尺四面(しめん)中央(ちうわふ)に爐(ろ)あり南(みなみ)に床(とこ)
 あり柱(はしら)は躑躅(つゝち)の古木(こぼく)を用(もち)ゆ北表(きたおもて)に入口(いりくち)ありて承塵(じやうじゆん)に何(か)
 陋庵(ろうあん)の三字(じ)を艸躰(そうたい)に彫成(ほりなし)たる額(がく)を掲(かゝ)く前栽(ぜんさい)は六坪(つほ)許(はかり)に
 して斜(なゝ)めに竹垣(たけかき)を結(ゆひ)めぐらし北(きた)の隅(すみ)に古(ふる)き石燈篭(いしとうろう)一基(き)
 を居(す)え南天(なんてん)燭五根(いつもと)を植(うへ)たり西(にし)の方に栞戸(しをりと)あり此處(こゝ)を出(いて)
 て西(にし)に回(めぐ)れば待合(まちあい)あり間口九尺奥行(おくゆき)六尺葭茅葺(あしかやふき)總体(そうたい)
 椚(くのぎ)の丸木造(まろきつく)りにして三方は壁(かべ)なり内に腰掛(こしかけ)を設(もふ)け又壁(かべ)
 には方圓(はうえん)の板三片(いたさんまい)へ篆書(てんしよ)隷書(れいしよ)草書(そうしよ)等(とう)にて茶説(ちやせつ)茶對(ちやたい)そ
 の他(た)題字(だいじ)を彫(ほり)たるを塗(ぬり)こめ其餘(そのよ)は一面(めん)に落葉(おちば)の摸様(もよう)
 を塗出(ぬりいた)せり夫(それ)より北に小門ありて中門に通(かよ)ふ道(みち)の中程(なかほど)に
 達(たつ)す總(すへ)て此ほとりは樹木(じゆもく)深(ふか)く茂(しげ)りて青苔(こけ)滑(なめ)らかに自(おのつか)
 ら物(もの)古(ふ)りて好雅(かうが)の眼(め)をよろこはしむ
石燈籠(いしとうろう) 何陋庵(かろふあん)の庭前(ていぜん)にある石燈籠(いしとうろ)は異形(いぎよう)にして古(ふる)
 きものなり大同(だいどう)年製(せい)の由(よし)言傳(いゝつたふ)れとも詳(つまびら)かならす總(そう)
 髙四尺五寸笠石(かさいし)徑(わたり)壹尺五寸火袋(ひふくろ)徑壹尺棹石(さほいし)竪(たて)
 壹尺弐寸許(はかり)あり
 
 好(こう) 好     好文亭南表(みなみおもて)承(な)
 文(ぶん)       塵(げし)の上に掲(かゞ)く縦(たて)
 亭(てい)       壹尺五寸横(よこ)四尺
 の     文     弐寸厚(あつさ)壹寸四分
 額(がく)       文字(もんじ)彫下(ほりさげ)紺青(こんぜう)に
             て之をうつむ地板(ちいた)
       亭     欅(けやき)の珠(たま)木理(もく)なり
 
     亭中(ていちう)の扁額(へんがく)は盡(こと/\)く景山公(けいざんこう)の親筆(しんひつ)なり中(なか)にも好文(こうぶん)
     亭(てい)楽壽楼(らくじゆろう)の額(がく)は筆力(ひつりやく)健勁(けんけう)頗(すこぶ)る飛動(ひどう)の勢(いきほ)いあり故(ゆへ)に
     衆人(しゆじん)の賞賛(せうさん)するところなり
 
 樂(らく) 楽     樂壽楼南(みなみ)おもて
 壽(じゆ)       承塵(なげし)の上に掲(かゞ)ぐ
 樓(ろう) 寿     縦(たて)壹尺五分横(よこ)弐
 の           尺三寸厚(あつさ)壹尺壹
 額(がく) 樓     分桜板(さくらいた)唐木(からき)色付(いろつけ)
             文字(もんじ)彫下(ほりさけ)糊粉(ごふん)にて
             これを埋(うつ)む縁木(ふち)は
             松(まつ)の皮付(かはつき)なり
 
 何(か)  何     茶室(ちやしつ)の表(おもて)承塵(じやうじん)
 陋(ろう)       の上に掲(かゝ)ぐ竪(たて)九
 庵(あん) 陋     寸横(よこ)弐尺三寸八
 の           分板杉(いたすき)の洗(あら)ひ
 額(がく) 庵     出(だし)にして文字(もんじ)すき
             さけ彫(ほり)なり
(略)
對古軒(たいこけん)の圓額(ゑんがく)
 
    やまにいる人
  世をすてゝ山にても 對古軒(たいこけん)より茶室(ちやしつ)江通(かよ)ふ
  對古軒       入口承塵(なけし)の上に掲(かゝ)く地(ぢ)
   なほうき     板(いた)唐木(からき)色付(いろつけ)文字(もんし)すき
            下彫(さけほり)徑(わた)り壹尺壹寸六分
            厚(あつ)さ六分背(うら)に銘(めい)あり
    ときはこゝにきてまし
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對古軒(たいこけん)
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蝦蟇石(がまいし) 好文亭(こうぶんてい)の簷下(のきした)なる脱履石(くつぬきいし)を云(い)ふ縦(たて)八尺横(よこ)四
 尺五寸計(ばかり)あり蝦蟇(がま)の背(せ)に似(に)たる班文(はんもん)あるを以て斯(かく)號(なづ)く
 此石もと同郡(とうくん)谷田村(やたむら)羅漢寺(らかんし)の境内(けいたい)に在(あり)しか彼寺(かのてら)廃(はい)せ
 し後(のち)この處(ところ)にうつすといふ
楽壽楼(らくじゆろう) 好文亭(こうぶんてい)の楼上(ろうじやう)を爾(しか)となふ東(ひがし)の板敷(いたしき)より北(きた)の
 一室(ひとま)に入(い)り階叚(はしこ)を西(にし)に曻(のほ)りて板敷(いたしき)あり南(みなみ)の方(かた)に一小室(せうしつ)有(あり)
 此板敷(いたしき)より弟(だい)二の階叚(はしこ)を南(みなみ)に上(のほ)りて楼上(ろうせう)に達(たつ)す北(きた)より南(みなみ)江
 三間半の入側(いるかは)ありて東(ひかし)に回(めぐ)れは正室(せいしつ)なり弐間四面(めん)北に床(とこ)
 あり薩摩竹(さつまたけ)を床柱(はしら)とす囲(めく)り弐尺七寸餘(よ)床(とこ)に添(そ)ふて西(にし)の
 方(かた)に圓窓(えんそう)あり欅(けやき)の大木(たいぼく)を彫穿(ほりうが)ちたる一片(いつへん)にして徑(わたり)五尺
 六寸厚(あつさ)六寸余なり[此欅(けやき)は公在国(こうざいこく)の頃(ころ)追鳥狩(おひとりかり)ありしとき太鼓(たいこ)を製(せい)せられ/しが其(その)余材(よざい)をもて此窓(まと)に用(もち)ひられしといふ太鼓(たいこ)は]
 [今常磐神社(ときわじんじや)神楽殿(かくらでん)にあるもの/是(これ)なり図説(ずせつ)弟(だい)二卷(くわん)につまびらかなり]此室(しつ)南(みなみ)を正面(せうめん)とし三方すへて欄(らん)
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楽壽(らくじゆ)楼上(ろうせう)より千湖(せんこ)を
望(のぞ)む図(づ)
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楼上(ろうせう)より西南(せいなん)を望(のぞ)む図(づ)
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櫻山(さくらやま)
 一に白雲岡(はくうんかう)といふ
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櫻山(さくらやま)春興(しゆんけふ)
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 を設(もふ)く南面(みなみおもて)承塵(ぜうぢん)の上に楽壽楼(らくじゆろう)の三字(じ)を草躰(そうたい)に書(かゝ)れた
 る扁額(へんがく)を掲(かゞ)けたり是(これ)また公(こう)の筆蹟(ひつせき)なり正室(せいしつ)の北(きた)入(いる)側(はせ)を
 隔(へた)て二小室(せうしつ)あり是を休息所(きうそくじよ)とす此所(ところ)は厨(くりや)のうへにありて
 杯盤(はいばん)等(とう)を直(たゝ)ちに楼上(ろうしやう)に釣上(つりあぐ)るために鉤縄様(かぎつるしやう)のものを設(もふ)
 く是其(その)運搬(うんはん)の勞(ろふ)を省(はぶ)かれたるものにして公(こふ)の意匠(ゐしやう)に出(いつ)る
 ものなり抑(そも/\)此楼(ろう)髙陵(かうりやう)のうえに又三重(さんぢう)に組立(くみたて)たる髙(たか)さ三拾
 尺の上(うへ)に聳(そび)へ欄(らん)に凭(より)て四顧(しこ)すれは山河(さんか)皆(みな)眼下(がんか)にあり凡(およそ)園(えん)
 中(ちふ)各所(かくしよ)の眺望(てうほう)集(あつ)めてこゝに大成(たいせい)すといふべし
亭中(ていちう)の桐戸(きりと)襖(ふすま)の類(たぐ)ひは當時(とうじ)府下(ふか)の書画(しよぐわ)に聲(な)ある人々に
 命(おふ)せてかゝしめられしと也又真假名(まかな)平假名(ひらかな)片假名(かたかな)或(ある)
 ひは紐鑑(ひもかヾみ)よふのものをは桐戸(きりど)四枚(まい)に記(しる)し載(のせ)て詠歌(えいか)の
 資(たすけ)とし平仄(へうそく)の韻字(いんじ)を集(あつ)めて詩作(しさく)の料(れう)に充(みて)らる是等(これら)
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 茶對
                 何陋庵(かろうあん)の待合(まちあい)
 或問子学茶法乎吾對曰      壁中(へきちう)に塗込(ぬりこめ)たる
 未也嘗聞之其味也苦而甘     ものなり中(なか)ほと
 其器也蔬而清其室也撲而閑    差(さし)わたし壹尺
 其庭也隘而幽其交也睦而     四寸弐分文字(もんじ)
 禮数會而不費能樂而不奢     彫下(ほりさげ)板(いた)は桜(さくら)の
 如此而己矣其反之者吾所     唐木(からき)色付(いろつけ)なり
 不知也
 天保壬寅孟春
  景山
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(略)
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茶説(ちやせつ)
縦(たて)壹尺三寸横(よこ)弐尺七寸五分櫻板(さくらいた)唐木(からき)色付(いろつけ)文(もん)
字(じ)彫下(ほりさけ)なり但(ただ)し四分の一をもつて縮寫(しゆくしや)す
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巧詐(かうそ)不(ず)如(しか)拙誠(せつせいに)
茶對(ちやたい)茶説(ちやせつ)と同(おなじ)く待合(まちあい)の壁(かべ)中に塗籠(ぬりこめ)たるものなり
縦(たて)三尺壹寸横(よこ)壹尺四寸五分欅板(けやきいた)にして文(もん)
字(じ)肉合彫(しゝあいぼり)なり
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 は舊藩士(きふはんし)名越(なこや)敏樹(ひんじゆ)松延(まつのべ)道圓(どふえん)の兩筆(りやうひつ)なり又(また)水戸家(みとけ)所(しよ)
 蔵(ぞう)の中より古色紙(こしきし)短冊(たんざく)数拾枚(すじうまい)撰(えら)ひ出(いた)して桐戸(きりと)四枚(まい)に
 摸(うつ)し好古(こうこ)の観覽(くわんらん)に供(きやうふ)す是(これ)も同藩醫(どうはんい)小松(こまつ)玄甫(げんほ)といゝし
 人の筆(ふで)なり画(ぐわ)は萩谷(はきのや)遷喬(せんきよふ)三好(みよし)守真(もりざね)岡田(おかだ)一琢(たく)等いつれも
 水墨(すいぼく)にて揮(ふる)はれたる山水(さんすい)又は梅竹(ばいちく)の模様(もよう)なり總(そふ)じてこの
 亭(てい)の結構(けつかう)は柱礎(ちうそ)の堅(かた)きを専(もつは)らとし工(たく)みのいたつかはしきを
 加(くわ)へす然(しか)して毎室(まいしつ)布置(ふち)最(もつと)も其(その)宜(よろ)しきを得(え)たり木材(もくざい)はすへ
 て松(まつ)杉(すき)の類(たく)ひを用(もち)ひて他木(たほく)を交(まじ)へす多(おゝ)く領中(れうちう)の山林(さんりん)より
 出せるものにして他邦(たほう)より求(もと)るもの至(いたつ)て稀(まれ)なり彼(かの)上(しやう)
 代(たい)の質朴(しつはく)なるに傚(なら)はせられ華美(くわび)虚飾(きよしやく)をもとめすされ
 ば起工(きこう)の始(はじ)めより豫(あらか)じめ其費用(ひよう)を概算(がいさん)し工(こう)竣(おわ)るに及(およ)ひ
 て猶(なほ)幾分(いくぶん)の餘額(よがく)あり故(ゆへ)に半(なかば)は窮民(きうみん)を賑(にぎ)はし半(なか)ばは園(えん)
 中(ちう)修理(しゆり)の料(れう)に充(みて)らる又苑中(えんちう)の樹木(しゆもく)も自然(しせん)の生長(せいてう)に
 隨(した)かひ敢(あへ)て矯楺(きやふじう)の酷(はなはた)しきを加(くわ)へす能(よく)其(その)生(せい)を保(たも)ち一も枯朽(こきう)
 にいたるの患(うれ)ひなく歳(とし)ことに枝葉(しやう)茂(しげ)りて緑の色(いろ)深(ふか)くおのつから
 避塵(ひじゆん)の趣(おもむ)きを表(へう)し雅客(がかく)のこゝろを慰(なぐさ)むるに足(た)れり又種々(しゆ/”\)
 の盆栽(ぼんさい)を多(おゝ)く集(あつ)められ苑(えん)の側(かたはら)に温室(むろ)を設(もふ)け培羪(ばいやう)せられ
 けるか白楳(はくはい)の古木(こぼく)弐鉢(はち)は殊(こと)に勝(すく)れてめつらしく人々多(おゝ)く
 賞美(せうび)せしと聞(き)けり
楼上(ろうしやう)に通(つふ)ずる階段(かいだん)のもとより東(ひかし)の方(かた)斜(なゝ)めに橋廊(ろうか)を架(が)し直(たゞ)ち
 に奥殿(おくでん)に到(いた)る此處(ところ)は西(にし)より東北(とうほく)に折廻(おりめく)らしては室(しつ)にわかつ
 東(ひかし)の二室(ふたま)を正室(せいしつ)とし南(みなみ)に向(むか)ひて入側(いるかは)あり北(きた)に續(つゞ)ける弐室(ふたま)を
 奥對面所(おくたいめんじよ)とす尚(なほ)北(きた)に續(つゞ)き書院表(しよいんおもて)對面所(たいめんしよ)有司(いうし)の詰所(つめしよ)并(ならひ)
 ひに玄關(げんくわん)等(とう)もありけるか年(とし)を追(お)ひ破壊(はかい)多(おゝ)きをもて撤毀(とりこぼ)ち
 修補(しゆほ)の費用(ひよう)幾分(いくぶん)を減(げん)す又西(にし)の一棟(むね)は厨(くりや)にして総板敷(そういたじき)なり
 是より西(にし)は茶室(ちやしつ)に通(つう)す又同所(とふしよ)の西北(さいほく)に隣(とな)りて長局(ながつぼね)弐棟(ふたむね)在(あ)
 りて中門(ちうもん)の邊(へん)まて連(つらな)りしか是も同時(とうじ)にとり除(のぞ)き今(いま)杉林(すきはやし)と
 なれり
二季咲(にきさき)の桜(さくら) 奥殿(おくでん)の庭(には)并(なら)ひに偕楽園(かいらくえん)の碑石(ひせき)より南(みなみ)の方(かた)苑中(えんちう)にあ
 り花片(くわへん)尋常(よのつね)のものにして色(いろ)純白(じゆんはく)なり春冬(しゆんとう)両度(りやうど)に花(はな)を
 發(ひら)く就中(なかんつく)十月をもつて多(おゝ)しとす故(ゆへ)に十月桜(さくら)ともよべり
 是は舊藩士(きうはんし)久米(くめ)某(それがし)の邸中(ていちう)にありしを移(うつ)されしものとぞ又
 貞享(でうきゃう)元録(けんろく)の頃(ころ)大和(やまと)芳野(よしの)の桜苗(さくらなへ)を七面(めん)の境内(けいたい)に植(うへ)られしこと
 或書(あるしよ)に見(みへ)たり是今好文亭(こうぶんてい)東板敷(ひかしいたしき)の前(まへ)なる櫻(さくら)の大樹(たいじゆ)ならん
 と云(い)へり又仙奕臺(せんえきだい)の邊(ほと)りに松樹(あかまつ)ひと根(もと)は駿州(すんしう)三保(みほ)の松原(まつはら)羽(は)
 衣(ころも)の松苗(まつなへ)をうつされしとなり[此外(か)園中(えんちう)の小松(こまつ)は當国(とうこく)行方郡(なめかたこふり)濵村(はまむら)高須(こうす)/の松(まつ)の実生(みせう)なる由(よし)云(いゝ)傳(つた)ふ]
櫻山(さくらやま) 一に白雲岡(はくうんこう)と号(なつ)く偕楽園(かいらくえん)の西(にし)弐町(ちよう)許(ばかり)を隔(へた)て見和(みわ)
 村(むら)の地(ち)に有(あり)公園(こうえん)の附属(ふぞく)たり東西(とうざい)凡(およそ)弐百間(けん)南北(なんほく)八拾間(けん)の
 岡(おか)にして一面(めん)の芝生(しばふ)なり天保(てんほ)中(ちう)偕楽園(かいらくえん)を開(ひら)かれし時(とき)此(こゝ)
 に櫻樹(さくら)数(す)百株(しゆ)をうへて游観(ゆうくわん)の地(ち)となせり弥生(やよい)の初旬(はじめ)
 より咲(さき)そめて満山(まんざん)雪(ゆき)と詠(なが)め雲(くも)と見紛(みまか)ふばかり貴賎(きせん)打(うち)
 群(むれ)てこゝに逍遥(しやうよふ)す一時(じ)の奇觀(きくわん)たり
一遊亭(ゆうてい) 櫻山(さくらやま)は偕楽園(かいらくえん)に次(つき)て絶景(せつけい)の地(ち)なり眺望(てうぼう)粗(ほゞ)相似(あいに)
 たり故(ゆへ)に公(こう)はじめ此處(こゝ)に園(えん)を開(ひら)かれんとせられしも地(ち)
 域(いき)の狭隘(けふあひ)なるをもて今の地(ち)に改(あらた)めらるゝと云(いふ)されば此所(ところ)に
 もさゝやかなる亭(てい)を設(もふ)けて休息所(きうそくしよ)とせられ一遊亭(いちゆうてい)と号(なつ)
 けらる後(のち)故(ゆへ)ありて廃(はひ)せり
玉龍泉(ぎよくりうせん) 一に栁隂水(りういんすい)ともいへり桜山(さくらやま)の北(きた)の崖下(がけした)にあり徑(わたり)弐間
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玉龍水(ぎょくりうすい) 又栁隂水(りういんすい)ともいふ
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 許(はかり)の圓(まろ)き池(いけ)の形(かた)ちを造(つく)り内(うち)に大石(たいせき)を居(す)へ鉄管(てつくわん)を仕込(しこ)み
 其中(そのなか)より水(みつ)を噴出(ふきいた)す髙(たか)さ一丈(しやう)餘(よ)に到(いた)る水源(すいげん)は岡(おか)の南(みなみ)
 一町(てう)ばかりに在(あ)り公(こう)固(もと)より水理(すいり)に精(くわ)し嘗(かつ)て雲霓機纂(うんげいきさん)
 と云(い)へる書(しよ)を著(あら)はし領中(れうちふ)に頒(わか)ち與(あた)へて灌漑(くわんき)の用(よう)に供(けふ)す
 其(その)水(みつ)に乏(とも)しき村落(そんらく)は此(この)用法(ようほふ)にならひて最(もつと)も益(えき)を得(う)る
 といふ此(この)噴水(ふんすい)も亦(また)公(こう)の意匠(ゐしやう)より出(いつ)るものなり
丸山(まるやま) 桜山(さくらやま)の東(ひかし)に續(つゞ)きたる圓(まろ)き丘(おか)にして東西(とうざい)弐拾間(じつけん)南北(なんほく)拾(じつ)
 五六間(けん)程(ほど)ありて栁(やなぎ)桜(さくら)松(まつ)海棠(かいたう)の類(たぐ)ひを植(うへ)たり此(この)丘(おか)は往(いん)じ
 寛文(くわんぶん)年間(ねんかん)水戸義公(ぎこう)緑(みどり)が丘(おか)に髙枕亭(かうちんてい)を設(もふ)けさせられし
 折(おり)この所(ところ)にも小堂(せうどふ)を営(いとな)み陶渕明(とうえんめい)の木像(もくぞふ)を安(あん)じ渕明堂(えんめいどう)と
 号(ごう)す又(また)壁障(へきしやう)に猩々(せう/″\)の画(え)を貼(てう)せしをもて猩々亭(せう/″\てい)酒星堂(しゆせいどう)
 とも稱(とな)へられしとなり[此丘(おか)の北(きた)小渡川(さわたりかは)に架(わた)せる棚橋(とものはし)あり今に猩々(せう/”\)/橋(はし)といへるもこゝに通(かよ)ふ路(みち)にありし故(ゆへ)の名(な)なりとぞ]
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園中(えんちふ)の萩(はき)
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 因(ちなみ)に云(い)ふ水戸の儒臣(じゆしん)吉弘(よしひろ)元常(げんじやう)[通称佐介字は子常初名玄/仍磬斎又菊潭と号す周防の]
 [人水戸侯に仕へて儒臣/となり食禄三百石を賜ふ]一日(あるひ)同僚(どうりよう)と共(とも)に詩(し)をもて會(くわい)す元常(げんじやう)
 思(おも)ひらく彼(かの)管公(くわんこう)の詩歌(しいか)を閲(けみ)するに菊(きく)に題(だい)せしもの梅(ばい)
 松(せう)を賦(ふ)し給へる詩歌(しいか)より多(おゝ)しされば相公(しようかふ)の詩(し)に
   不是秋江煉白砂  黄金化出菊叢花
   微臣把得籯中満  豈若一經遺在家
 此句意(くのこゝろ)をとりて相公(せうかふ)採菊(さいきく)と云(い)へる題(だい)を出しておの/\
 佳句(かく)を得(え)られしとなり水戸義公(ぎかう)此事を聞(きゝ)およばれ
 元常(げんじやう)優(やさし)くも雅事(がじ)を好(この)むものかなとて菅公(くわんこう)採菊(さいきく)の
 図(づ)を親(みつか)ら画(えが)き画工(ぐわこう)狩野(かの)養朴(よふぼく)に命(めい)じて彩色(さいしき)を設(ほどこ)し
 表装(へうそう)成(な)りて此渕明堂(えんめいどう)に掲(かゝ)け祭式(さいしき)おわりて後(のち)元常(げんじやう)
 に賜(たま)はりしことなり其頃(そのころ)有栖川(ありすかは)幸仁(ゆきひと)親王(しんわう)より懐紙(くわいし)を
 たもふ
  いつれよりまつ咲(さき)出る色を見(み)んうへて花待庭(はなまつには)のむらきく
 此外(ほか)大友(おゝとも)親里(ちかさと)石尾(いしを)氏信(うちのぶ)庵木(いほき)貞幹(さたもと)木下(きのした)玄雲(げんうん)の諸子(しよし)争(あらそ)
 つて詩賦(しぶ)を贈(おく)り元常(げんじやう)か風雅(ふふか)の渥(あつ)きを賛美(さんび)せられしと也
櫻川(さくらかは) 偕楽園(かいらくえん)の西南(せいなん)崖下(がいか)を東(ひがし)に流(なが)るゝ小川(をかは)にして源(げん)を同(どう)
 郡(ぐん)池野邊村(いけのべむら)朝房山(あさぼうやま)の南麓(なんろく)に發(はつ)し大足(おゝだる)川和田(かはわた)見川(みかは)常(とき)
 磐(は)の数(す)ヶ村(そん)を經(へ)て園下(えんか)髙橋(たかはし)にいたりて千波(ば)湖(こ)に會(くわい)せり
 天保(てんほ)の初(はじ)めまては見川(みかは)千波(ば)两村(りやうそん)の地先(ちさき)を貫流(くわんりふ)し直(たゞ)ちに
 湖中(こちう)に入(い)りしか偕楽園(かいらくえん)を開(ひら)かれしおり水路(すいろ)を改(あらた)め今の見川(みかは)
 村(むら)不動院(ふどういん)の下(した)より新(あら)たに疏通(そつう)し緑(みどり)か岡(おか)の南麓(なんろく)を北(きた)に廻(まは)り
 丸山(まるやま)の北(きた)にして小渡川(さわたりかは)を入(い)れ東流(とうりう)し園下(えんか)を經(へ)て湖中(こちう)に
 落(お)つる事(こと)にはなりし其(その)两岸(りやうがん)には楓樹(もみち)及(およ)び款冬(やまぶき)の類(たぐ)ひを
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水戸(みと)の儒臣(じゆしん)
吉弘(よしひろ)元常(げんじよう)菅(くわん)
公(こう)採菊(さいきく)の題(だい)
にて同僚(どふりやう)を
集(あつ)め詩會(しくわい)を
催(もよふ)す事(こと)本文(ほんもん)
に委(くは)し
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梅林
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 多(おゝ)く栽(うえ)て竜田(たつた)の錦(しき)をかざし花(はな)の影(かげ)そふ井出(いで)の俤(おもか)げをうつし
 騒人(そふじん)の詞藻(しそう)を述(のぶ)る資(たす)けとはせられける又此川上(かはかみ)一里許(ばかり)にし
 て見川村(みかはむら)の地(ち)に两岸(りやふがん)に古木(こぼく)の桜(さくら)多(おゝ)くありて頗(すこぶ)る佳景(かけい)の
 地(ち)なり元録(げんろく)九年の頃(ころ)水戸義公(みとぎこう)當國(とうごく)眞壁郡(まかべこふり)桜川(さくらかは)より桜(さくら)
 の苗木(なへぎ)を移(うつ)して游觀(ゆふくわん)の地(ち)とせられ桜川(さくらかは)と呼(よば)せ給ふ此所(ところ)は
 川幅(かははゞ)廣(ひろ)く膳棚渕(ぜんたなふち)牛卷渕(うしまきふち)弥平次渕(やへいじふち)なといへる深潭(しんたん)あり又
 菖蒲川(しやうぶかは)蛙(かいる)の杜(もり)といえる處(ところ)もありて享保(けうほ)元文(げんぶん)の頃(ころ)迄(まで)は府下(ふか)
 の騒人(そうじん)多(おゝ)く此(こゝ)に来(きた)りて詩歌(しいか)の興(けふ)を催(もよ)ふし三絃(げん)今様(いまよう)の狂客(けふかく)
 は酒宴(しゆえん)に帰路(きろ)を忘(わす)るゝも多(おゝ)かりしか年(とし)歴(ふ)る侭(まゝ)に桜(さくら)も朽(くち)倒(たほ)れ
 其(その)四邊(あたり)も甚(いた)く荒撫(あれ)て尋(たつぬ)る人稀(まれ)なりしか近(ちか)き頃(ころ)田(た)に鋤(す)き
 畑(はた)にかえして大(おゝ)ひに風致(ふうち)を損(そん)ぜしかとも今(いま)に桜(さくら)弐拾餘株(しうよしゆ)
 ありて僅(わつ)かにむかしの俤(おもか)けを残(のこ)せり
梅園(うめその)  表門(おもてもん)の東(ひかし)より常磐神社(ときはしんしや)境外(けいくわい)まて凡(およそ)百八拾間(けん)幅(はゞ)凡(およ)
 そ六七拾間(けん)程(ほど)にして尽(こと/″\)く梅林(ばいりん)なり其(その)数(すう)凡(およ)そ五千餘(よ)
 株(しゆ)に及(およ)ぶといふ其他(そのた)園下(えんか)桜川(さくらかは)の北岸(ほくかん)より吐玉泉(ときよくせん)に到(いた)る
 の間(あいだ)崖(がけ)にそふて弐百餘(よ)株(しゆ)あり又常磐村(ときはむら)元山町(もとやまてう)の出口(でくち)ゟ
 表門(おもてもん)の前通(まへどふ)り迠(まて)道(みち)の左右(さゆふ)に植(うゆ)るもの百余(よ)株(しゆ)なり又
 今の常磐神社(ときはじんじや)境内外(けいないぐわい)の地(ち)とも舊(もと)偕楽園(かいらくえん)の一郭内(くわくない)にて
 梅林(ばいりん)なりしといふ初(はじ)め園中(えんちふ)一万(まん)株(しゆ)を植(うえ)られしか一時(じ)培養(ばいよう)
 を欠(かゝ)れしより毎年(としごと)に枯稿(ここふ)し今に至(いた)り其(その)半(なか)ばを減(げん)すといふ
 公(こう)稚(わか)きより梅花(ばいくわ)の清(きよき)を愛(あい)し後(のち)領中(れうちふ)に令(れい)して多(おゝ)く梅樹(ばいじゆ)を植(うへ)
 させらる天保(てんほ)九年(ねん)大(おゝ)ひに文武(ぶんぶ)を擴充(くわくじう)せんか為(た)め水戸城(みとぜう)の外郭(くわいくわく)
 内(ない)に弘道館(こうどうくわん)を設(もふ)け又梅樹(ばいじゆ)五千株(しゆ)をうへらる初(はじ)め封内(ほうない)梅樹(ばいじゆ)
 甚(はなは)た乏(とぼ)しかりしか此(こゝ)に至(いたり)て戸毎(こごと)に其(その)花(はな)を見(み)る事(こと)を得(え)たりこれ
 其(その)實(み)を貯(たくは)え置(おき)て非常(ひじやう)の用(よふ)に充(みて)らるゝの意(ゐ)なりしとそ
 嘉永(かえい)年間(ねんかん)の事(こと)とかや公(こう)近臣(きんしん)二人を﨑陽(きよふ)に遣(つかは)はして蒸(じやう)
 氣機關(ききくわん)の結構(けつかふ)を洋人(よふじん)に質聞(しつもん)せられしが二人其(その)事(こと)おはり
 て帰途(きと)大宰府(だざいふ)の菅庿(くわんべう)を拝(はい)し飛梅(とびうめ)の小枝(こえた)を携(たつさ)へ来(きた)り
 て之(これ)を公(こふ)に呈(てい)す公(こう)大(おゝ)ひに感賞(かんしやう)し江戸駒籠(こまこめ)の別業(べつげう)に栽(さい)
 培(ばい)せしめられしといふ是(これ)公(こう)の平生(へいぜい)風雅(ふふが)を嗜(たし)まるゝの一端(たん)也
 
常磐公園攬勝圖誌(ときはこうえんらんしやうづし)上卷畢