常磐公園攬勝圖誌(ときはこうえんらんしやうづし)下巻
水戸 松平俊雄編述
此巻(まき)は偕楽園(かいらくえん)の一望中(ぼうちふ)にある湖邉(こへん)の勝地(しやうち)をところ/\
撰(えら)ひて之(これ)を載(の)す又偕楽園(かいらくえん)を開(ひら)かれしより人事(じんじ)に渉(わた)れる
事(こと)どもは繁(しげ)きを芟(か)り其要(そのよう)を摘(つみ)て是をしるすされと漏(もれ)
たるも猶(なを)多(おゝ)かめればそは續編(ぞくへん)の成(な)れるを待(まち)て記載(きさい)す
べし
緑(みとり)ヶ岡(おか) 偕楽園(かいらくえん)の西(にし)弐町(てう)許(はかり)を隔(へた)て丸山(まるやま)の南(みなみ)の方(かた)にあり
見川村(みがはむら)に属(ぞく)す此地(ち)は元(もと)同村(どうそん)緑川(みとりかは)某(それがし)の所有(しよゆう)なりしか
寛文(くわんぶん)五年(ねん)水戸義公(みとぎこう)購(あかな)ひ得(え)て別野(べつや)となし一亭(てい)を
設(もふ)け髙枕亭(かうちんてい)と号(なづ)けらる[故(ゆへ)に緑山(みとりやま)或(ある)ひは/御殿山(ごでんやま)ともいへり]其苑(そのえん)を君子林(くんしりん)北(きた)
の岨路(そはみち)を窈窕阪(よふてうはん)といふ明(みん)の朱(しゅ)舜水(しゅんすい)此地(ち)におひて十境(けふ)を
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仙湖(せんこ)南岸(なんがん)より
偕楽園(かいらくえん)を望(のぞ)む
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下常磐橋(しもときはゝし)
又高橋(たかはし)とも云(いふ)
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緑(みどり)ヶ岡(おか)
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撰(えら)ふいはゆる 君子林(くんしりん) 漸入徑(せんにうけい)[又斯可(しか)/徑] 豊年池(ほんねんち) 曲直港(きよくちよくこう)
髙平阜(かうへいふ) 十年園(ねんえん) 君羹圃(くんくはうほ) 大田(たいでん) 遺安壟(ゐあんろう) 乳石岩(にふせきがん) 等(とう)
なり今其(その)所在(しよざい)詳(つまびら)かならす
抑(そも/\)此岡(おか)は偕楽園(かいらくえん)と相對(あいたい)し佳景(かけい)幽邃(いふすい)の地(ち)なり老松(ろうしやう)欝々(うつ/\)
として四面(めん)を圍繞(いにう)し桜川(さくらかは)の清流(せいりふ)其(その)南麓(なんろく)を廻(めぐ)り東南(とうなん)の
間(あいた)遠(とを)く開(ひら)けて千湖(せんこ)の渺漫(べうまん)たるを望(のぞ)む西(にし)に顧(かへり)みれは筑(つく)
波(ば)葦尾(あしお)の翠岱(すいたい)画(えが)くか如(ごと)く又遥(はる)かに上野(ぜうや)の諸山(しよさん)と相對(あいたい)
すされは義公(ぎこう)の此地(ち)に髙枕亭(こうちんてい)を設(もふ)けさせられし頃(ころ)屡(しは/\)
文学(ぶんがく)の士(し)を召(め)して詩歌(しか)をもてあそび或時(あるとき)は古今(ここん)盛衰(せいすい)
の蹤(あと)を論(ろん)じて之(これ)を當時(とふじ)に鑒(かんが)み又或(ある)ときは早苗(さなへ)とる賎夫(しづ)か
手業(てわざ)の暇(いとま)なきを見(み)そなはして深(ふか)く農(のう)を愍(あはれ)み数箇(すか)の
公納(こうのう)の中(うち)七條(ぜふ)の課役(くはやく)を免(ゆる)されしとなり其後(そののち)寳永(はうえい)年(ねん)
間(かん)に至(いた)り此亭(てい)を毀(こほ)ちて其跡(そのあと)をは畠(はた)に開(ひら)き近(ちか)きわ
たりの農人(のふにん)に貸(かし)あたへられ僅(わつか)の賦税(ぶせい)を納(おさ)め来(きた)りしか
天保中(てんほちう)偕楽園(かいらくえん)を開(ひら)かれたるおり茶園(ちやえん)と為(な)し苗(なへ)を
山城國(やましろのくに)宇治(うち)よりうつされ培養(ばいよう)年(とし)をへて精品(せいひん)多(おゝ)く出
せりといふ[髙枕亭(こうちんてい)の承塵(じやうじゆん)に掲(かゝ)けたる板額(がく)は松(まつ)に鷹(たか)の高彫(たかほり)にし/て俗(よ)にいふ左(ひだ)り甚五郎(じんごろう)の作(さく)なりといゝ傳(つた)えしか藩士(はんし)小笠(おがさ)]
[原(はら)某し(それがし)に賜(たま)ひ取毀(とりこぼ)ちたる木材(もくざい)は/村上(むらかみ)某(それかし)にたまはりしとなり]
(略)
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緑岡(みとりかおか)の北丸山(きたまるやまに)渕明堂(えんめいどう)を設(もう)けられしは弐
百餘年(よねん)の昔(むかし)にして今(いま)は其跡(そのあと)のみ存(そん)ぜり
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水戸義公(みとぎこう)緑(みとり)か岡(おか)の
山荘(さんそう)に文學(ぶんがく)の士(し)を
集(あつ)め古今(ここん)を論(ろん)じ
給ふ図(づ)
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緑(みとり)か岡(おか)
髙枕亭(かうちんてい)の舊趾(きうし)
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朱(しゆ)舜水(しゆんすい)西山公(せいざんこう)の聘(へい)に應(おふ)
じて水戸(みと)の邸(てい)に至(いた)るの圖(づ)
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猩々橋(しやう/\はし) 丸山(まるやま)の北(きた)小渡川(さわたりかは)の間(あいた)に架(わた)したる棚橋(たなはし)を斯(かく)号(なつ)く是(これ)
は彼(かの)丸山(まるやま)に猩々亭(しやう/\てい)[此亭(てい)の事(こと)一の/巻(まき)に載(の)す]を営(いとな)み給ひし時(とき)是(これ)に通(かよ)へる
路(みち)に當(あた)れるをもて橋(はし)の名(な)に負(おは)せしとなり[小渡川(さわたりかは)は東茨(ひがしいばら)/城郡(きこうり)常磐村(ときはむら)の]
[字小渡(あざさわたり)といへる地(ち)より発(はつ)して此橋際(はしぎは)/にて桜川(さくらかは)と合(がつ)し千波湖(せんばこ)に落(おつ)るなり]
藤棚(ふちたな) 桜川(さくらかは)の南(みなみ)壱町許(てふはかり)田圃(でんほ)の中(うち)に在(あり)て四方(よも)に蔓延(まんえん)し
開花(かいくわ)の候(こう)には一竒観(きくわん)たりしか嘉永(かえい)年間(ねんかん)より追々(おひ/\)に其根(そのね)
絶(た)へて今は其趾(そのあと)だにとゝめす按(あん)ずるに此邊(へん)いにしへ藤(ふぢ)ヶ崎(さき)
といゝて仙湖(せんこ)七崎(なゝさき)の中(うち)なる由(よし)されは其(その)古名(こめい)を存(そん)したま
はんとて景山公(けいざんこう)の植継(うへつが)れしものなるべし[天保中(てんほちう)丹頂(たんてう)の/隺(つる)一番(ひとつが)ひを此地(ち)]
[に飼(か)はしめられしか其(その)餌食(えじき)を此藤棚(ふちたな)/の下(もと)にてあたえられたる由(よし)言(いゝ)つたふ]
髙橋(たかはし) 桜川(さくらかは)の下流(かりう)千波湖(せんばこ)の落合(おちあい)に架(か)す本名(ほんめい)を下常葉橋(しもときははし)
といへり[此橋(はし)より弐丁許(てうはかり)をへたて西(にし)の方(かた)園下(えんか)に添(そ)ふて板橋(いたはし)在(あ)り/是(これ)を上常葉橋(かみときははし)といふ此二橋(けやう)は天保中(てんほちう)架(が)せしめらるゝとなり]此所(ところ)は國道(こくどう)
の一にして水戸より東京(とうけふ)への往還(わうくわん)なり東(ひがし)へ壱町程(てうほと)ゆけは左り
の方(かた)に常盤(ときは)神社(じんじや)一の華表(とりゐ)建(たて)り
彰考館(しやうかうくわん)文庫(ぶんこ) 同所(どうしよ)北(きた)偕楽園(かいらくえん)の崖下(がけした)に在(あ)り水戸義公(ぎかう)曾(かつ)て
文學(ぶんがく)に志(こゝろざ)し渥(あつ)く東武(とうぶ)駒籠(こまこめ)の別墅(べつや)に文庫(ぶんこ)を設(もふ)け和漢(わかん)の
書籍(しよじやく)数萬巻(すまんくわん)を貯(たくは)へ彰考館(しやうかうくわん)と号(なづ)く又儒臣(じゆしん)に命(めい)じて洽(あま)
ねく天下(てんか)の綺書(きしよ)を求(もと)め多(おゝ)く文学(ぶんがく)の士(し)を徴(てう)す海内(かいだい)の碩儒(せきじゆ)
翕然(きうせん)として此館(くわん)に集(あつま)るもの十有餘人(ゆうよにん)各(おの/\)恩禄(おんろく)を給(きふ)し編輯(へんしふ)
の事(こと)に與(あつか)らしむ禮儀(れいぎ)類典(るいてん)若干(じやくかん)を撰(えら)ひて本朝(ほんてう)大典(たいてん)の闕(かけ)
たるを補(おぎな)ひ大日本史(だいにほんし)を著(あら)はして
皇統(くわうとふ)及(およ)ひ名臣(めいしん)の蹤(あと)を糺(たゞ)し世(よ)挙(こぞつ)て我朝(わかてふ)の正史(せいし)と稱(しやう)す寛文(くわんぶん)
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常磐(ときは)神社(じんじや)
鎮靈社(ちんれいしや)
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中(ちう)明(みん)の朱(しゆ)舜水(しゆんすい)埼陽(きよう)に来(きた)るを聞(きゝ)て禮(れい)を厚(あつ)ふしてこれを招(まね)き
立(たて)て文學(ぶんがく)の師(し)と為(な)す摂(せつ)の湊川(みなとがは)楠廷尉(なんていゐ)の碑陰(ひいん)は師(し)の撰文(せんぶん)
にして世(よ)の知(し)る所(ところ)なり其後(そのゝち)文庫(ぶんこ)を水戸(みと)の城中(ぜうちふ)に移(うつ)し總(そう)
裁(さい)一名(めい)学官(がくくわん)数名(すめい)を置(おい)て館中(くわんちう)の事(こと)を司(つかさど)らしめ同く國史(こくし)
の編輯(へんしう)に與(あつ)かる明治(めいじ)維新(いしん)に當(あた)り藩(はん)を廃(はい)し城地(ぜうち)皆(みな)官(くはん)に
納(おさ)む故(ゆへ)に官(くわん)に請(こ)ふて再(ふたゝ)ひ文庫(ぶんこ)を此地(ち)に移(うつ)すといふ
彰考館(しやうかうくわん)の印(いん) 彰考館(印) [印面(いんめん)の篆字(てんじ)は水戸藩士(はんし)/力石(ちからいし)勘介(かんすけ)の筆跡(ひつせき)にして同(どう)/藩(はん)伴(ばん)武平(ぶへい)の刻(こく)なり]
常磐(ときは)神社(じんじや) 偕楽園(かいらくえん)の東隣(とうりん)に在(あ)り境域(けふいき)東西(とうざい)七拾間南北(なんほく)百五拾
間許(はかり)其内(そのうち)千坪(つぼ)を社殿(しやでん)の境内(けいだい)とし官有(くわんゆふ)に属(ぞく)す其餘(そのよ)は付属(ふぞく)
地(ち)にして舊藩(きふはん)有志者(ゆうししや)の寄附(きふ)なり本社(ほんしや)拜殿(はいてん)神楽殿(かくらてん)神(しん)
門(もん)神供所(しんぐじよ)神馬(しんめ)手水屋(てみつや)等(とう)結構(けつかう)工(たく)みをつくせり其他(そのた)燈(とう)
籠(ろう)高麗狗(こまいぬ)天水鉢(てんすいはち)繪馬(ゑま)及(およ)ひ境内中(けいだいちう)の樹木(しゅもく)草花(そうくわ)の類(たぐ)ひ
衆人(しゆじん)の獻備(けんび)に係(かゝ)る元(もと)此地(ち)は偕楽園(かいらくえん)の一郭内(くわくない)にして都(すべ)て
梅林(ばいりん)なりしを當社(とふしや)営建(えいこん)の擧(きよ)ありしより豫(あらじ)め此地(ち)を卜(ぼく)し
境内(けいだい)に定(さだ)む抑(そも/\)當社(とうしや)は徳川(とくがは)光圀郷(みつくにけふ)[水戸家(みとけ)第(だい)二代(たい)従(じゆ)三位(み)権中(ごんちう)/納言(なこん)に任(にん)じ元録(げんろく)十三年十二月]
[薨(ごう)す義公(ぎこう)と謚(おく)り名(な)す明治二年/十二月特旨(とくし)を以て従(じゆ)一位(ゐ)を贈らる]同(おなじ)く齊昭郷(なりあきらけふ)[水戸家第九代従三位権中/納言萬延元年八月十五日薨す明治]
[二年十二月特旨を/以て従一位を贈る]の神靈(しんれい)を齊(いつ)き祀(まつ)れる所(ところ)にして二公(こう)の國家(こくか)に功績(こうせき)
の著(いちゞる)しきは江湖人(よのひと)よく知(し)る所(ところ)なりされは當國(とうこく)はさらにもいはす
遠(とほ)き國々(くに/\)の人(ひと)迠(まて)も其(その)偉徳(ゐとく)を欽慕(きんぼ)し更(さら)に官(おふやけ)の御許(みゆるし)をうけて
各(おの/\)資財(しさい)を擲(なけう)ち新(あら)たに社殿(しやでん)を創建(そうけん)して常磐(ときは)神社(じんじや)の號(ごう)を
賜(たま)はり明治(めいじ)六年三月廿七日懸社(けんしや)に列(れつ)せらる同七年九月二柱(ふたはしら)
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常磐(ときは)神社(じんじや)
五月十二日祭事(さいじ)
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の神號(しんかう)を賜(たも)ふ[義公(きこう) 高譲味道根命(たかゆつるうましみちねのみこと)/烈公(れつこう) 押健男国之御楯命(おしたけほくにのみたてのみこと)]同十五年十二月別格(べつかく)官(くわん)
幣社(へいしや)に列(れつ)し同十六年二月告祭式(こくさいしき)を行(おこな)はるしかありし
より神威(しんい)益々(ます/\)著(いちじるし)く衆庶(しふしよ)渇仰(かつこう)大(おゝ)かたならす種々(くさ/\)の品(しな)ど
もたてまつり詣人(けいじん)常(つね)に絡繹(らくえき)として鈴(すゞ)の音(おと)神楽(かぐら)の響(ひゞ)き
絶(たゆ)る隙(ひま)なく年中(ねんちう)四度(ど)の祭事(さいじ)にして就中(なかんづく)五月十二日を以
て大祭(たいさい)を修行(しゆぎやう)せらる此日は水戸市街(しぐわい)及(およ)び近郷(きんけう)より躍(おどり)
家臺(やだい)其外(そのほか)練物(ねりもの)等(とう)思(おも)ひ/\に粧(よそほ)ひ造(つく)りて神前(しんぜん)に供(きやう)す遠(えん)
近(きん)竸(きそ)ひ集(あつま)りて大(おゝ)ひに賑(にぎは)へり
鎮靈社(ちんれいしや) 常磐(ときは)神社(じんじや)神門(しんもん)より西(にし)の方(かた)に在(あ)り境内(けいたい)東西(とうざい)拾
五間南北(なんほく)拾弐間許(はかり)社壇(しやだん)は東(ひかし)に嚮(むか)ふ當社(とうしや)は水戸(みと)の士民(しみん)
國事(こくじ)に殉(じゆん)せし者(もの)を初(はじ)め維新(いしん)以来官軍(くわんぐん)に属(ぞく)し西南(せいなん)の役(ゑき)に戦没(せんぼつ)せし者(もの)
の霊魂(れいこん)を鎮(しつ)め祀(まつ)れる所(ところ)にして國中(くにちう)大(おほい)に有志輩(いうしはい)を募(つの)り官(くわん)又
之を補(たす)け明治十二年五月遂(つい)に特許(とくきよ)を得(え)て此地(ち)に社殿(しやてん)
を造営(ぞうえい)す毎歳(まいさい)五月十三日をもつてこれを祀(まつ)る
大鼓(たいこ) 常磐(ときは)神社(じんじや)の神樂殿(かくらでん)に備(その)ふる大鼓(たいこ)は世(よ)に未曾有(みぞふう)
のものにして徑(わた)り四尺七寸五分胴(どう)の圍(めぐ)り一丈五尺五寸同(おなし)く
長(なが)サ六尺弐寸左右(さゆう)に銘文(めいぶん)あり景山公(けいざんこう)の親筆(しんひつ)なり面(おもて)
に丸龍(ぐわんりやう)の模様(もよふ)を畫(えが)く公(こう)曾(かつ)て在國(ざいこく)の頃(ころ)武備(ぶび)を擴充(くはくじう)
せんため野外(やくわい)の演習(えんしう)ありしとき之(これ)を製(せい)して陣中(ちんちう)に備(そな)
へられしとなり[神楽殿(かぐらでん)の側(かたは)らに据置(すへおか)るゝ大炮(たいほう)一門(もん)/も是又(これまた)同時(とうし)の製(せい)なる由(よし)云(いゝ)つたふ]
千波湖(せんばこ) 東北(とうほく)は水戸上下市街(しぐわい)に接(せつ)し西南(せいなん)は常磐(ときは)千(せん)
波(ば)吉田(よした)三ヶ村(そん)の地(ち)に濱(ひん)す東西(とうざい)凡(およ)そ弐拾五町五十間
南北(なんほく)六町余(よ)あり然(しか)して此湖(こ)に會(くわい)するもの僅(わつか)に二流(りう)
に過(すぎ)す一派(は)は中妻領(なかつまれう)より出(いて)て常磐村(ときはむら)に至(いた)り湖(こ)に注(そゝ)
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千波湖(せんばこ)
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く是(これ)則(すなは)ち桜川(さくらかは)なり一派(は)は同郡(とふぐん)東野(とうの)新田(しんでん)より発(はつ)し千
波村(ばむら)筑能崎(つくのさき)に至(いた)りて此湖(こ)に入(い)る之(これ)を逆川(さかさかは)と云(い)ふ又此
湖水(こすい)より三魂(みたま)か岬(さき)を回(めぐ)り濱田(はまた)の市街(しぐわい)を經(へ)て伊奈堀(いなほり)に
入(い)り東流(とうりう)して同郡(どふぐん)島田村(しまたむら)にいたり涸沼(ひぬま)の下流(かりう)に合(がつ)す又
栁堤(やなぎつゝみ)の水門(すいもん)より舊城(きうぜう)外郭(ぐわいかく)の濠(ほり)に入(い)り東流(とうりふ)して轟橋(とゝろきはし)の
大堰(おゝせき)に落(お)ち士族(しぞく)弟地(ていち)の間(あいた)を東(ひがし)より北(きた)に轉(てん)じ細谷村(ほそやむら)
嶋橋(しまはし)に至(いた)り那珂川(なかかは)に合流(がふりう)す古来(こらい)より魚鳥(ぎよてう)の猟(れう)を
禁(きん)ぜられしか明治十六年より更(さら)に御猟塲(ごれうば)に定(さた)めらる
又此湖中(こちう)に産(さん)する蓴菜(じゆんさい)は味(あじは)ひ殊(こと)に美(び)にして人々これを
賞(しやう)せり凡(およ)そ此地(ち)の風景他(た)に勝(すぐ)れ四時(しいし)の眺(なが)めこゝに集(あつま)る
東(ひがし)は水田(すいでん)連(つらな)りて遠(とを)く磯濱(いそはま)の松原(まつはら)を瞻(のぞ)み南(みなみ)は笠原(かさはら)吉田(よした)
の杜(もり)に對(むか)ひて静波(せいは)緑(みど)りを流(なが)し西(にし)は筑波(つくば)芦穗(あしほ)の峰巒(ほふらん)髙(たか)
く聳(そび)へ北(きた)は大城(たいせう)巍々(きゝ)として松風(まつかせ)の調(しら)べいと妙(たへ)なり春(はる)
は南地(なんち)に花(はな)を尋(たつ)ねて入會(いりあい)の鐘(かね)に帰路(きろ)を促(うな)かし夏(なつ)
は孤舟(こしう)に棹(さほ)さして中流(ちうりう)に風(かせ)を待(まち)或(ある)ひは緑(みとり)なす栁(やなき)の
陰(かげ)に三伏(さんぶく)の暑(しよ)を忘(わす)るゝあり秋(あき)は遠近(おちこち)の山端(やまのは)の梢(こず)へを
染(そむ)る楓葉(もみちば)は湖上(こせう)に錦(にしき)を晒(さら)すかと疑(うたが)はる就中(なかんつく)中秋(ちうしう)の
月(つき)のゆふべはことさらにいわんかたなく又白妙(しらたへ)の雪(ゆき)の
旦(あした)は騒人(そうじん)墨客(ぼくかく)おの/\相携(あいたつさ)へて湖邊(こへん)の閑亭(かんてい)に會(くわい)し
詩歌(しいか)管絃(くわんげん)の興(きやう)を添(そ)ふるも尠な(すくな)からす実(じつ)に郊外(かうぐわい)第(だい)一の
勝地(しやうち)にして水戸八景(はつけい)の冠(くわん)たるべし水戸義公(ぎこう)曾(かつ)てこの
湖(こ)を回(めぐ)りて八勝(しやう)を置(おか)るいわゆる七面山秋月(しちめんざんのしうげつ)神崎(かみさき)
寺晩鐘(じのばんしよう)梅戸夕照(うめとのせきせう)下谷帰帆(したやのきはん)栁堤夜雨(やなきつゝみのやう)藤柄晴嵐(ふちからのせいらん)
葑田落雁(のらくぐわん)緑岡暮雪(みとりのおかのぼせつ)等(とう)なり又天明(てんめい)年間(ねんかん)迠(まて)は湖(こ)
中夥(おひたゝ)しき蓮(はちす)ありて開花(かいくわ)の折(おり)は清香(せいこふ)人の袂(たもと)を襲(おそ)ひ一時(じ)
の竒観(きくわん)たりしか其後(のち)いつとなくその根(ね)絶(た)へて今(いま)は残(のこれ)る
もの稀(まれ)になりぬ
七崎(なゝさき) 古来(こらい)より此湖(こ)をめぐりて七崎(なゝさき)と称(とな)ふるものあり
妙法崎(めうはうさき)[神嵜寺の/境内にあり] 梅戸(うめと)崎[上市梅香/にあり] 駒入(こまいり)崎[上市柵町の/裏通りを云] 筑能(つくの)
崎[吉田村安蘇/の臺の邊] 庵崎(いほさき)[千波村逆川の/西の出崎をいふ] 栁(やなき)か崎[千波村東京街道/の東の出崎をいふ] 藤(ふち)
が崎[常磐村偕楽園/の下通りをいへり]
八澤(やさは) 是(これ)も古来(こらい)よりの稱(しやう)なり 鯉沢(こいさは)[吉田村清岩/寺の裏] 木沢(きさは)茂沢(もさは)
[今二村合して/吉沢村といふ] 狐(きつね)沢拂(はらひ)沢[二村とも今/吉田村に合す] 福(ふく)沢[今千波村/に合す] 米沢[吉田村の/隣村なり]
中(なか)沢[古町付村の字にして/今吉田村の地に入る]
(略)
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常磐(ときは)神社(じんじや)
東口(ひかしくち)一の華表(とりゐ)
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妙法崎(めうはうさき) 常磐(ときは)神社(じんじや)境内(けいだい)より東南(とうなん)凡(およ)そ四町許(てうはかり)を隔(へた)て真(しん)
言宗(こんしう)神崎寺(かみさきじ)の境外(けいぐわい)に在(あ)り湖邉(こへん)にさし出(いて)たる岡(おか)にして
佳景(かけい)の地(ち)なり往昔(おうせき)此處(ところ)に古松(こしやう)一株(かう)ありて土俗(どぞく)亀甲松(きつかうまつ)
と云(い)へり貞享(でうきやう)四年の秋(あき)暴風(ぼうふう)の爲(た)めに吹倒(ふきたを)れたるが土人(どじん)
等(ら)その根(ね)を穿(うが)ちて銅製(どうせい)の經筒(きやうづゝ)一箇(こ)を得(え)たり中(うち)に抹香(まつかう)
の如(ごと)きもの満(み)てり則(すなは)ち之(これ)をとり除(のぞ)くに筒(つゝ)の裏(うら)に款文(くわんもん)有(あ)
りて長承(てうしやう)二年と鐫(しん)す同寺(どうじ)の住僧(ぢゆうそう)宥賀師(ゆふがし)これを水戸(みと)
義公(ぎこう)に呈(てい)す公(こう)之(これ)を見(み)て妙法(めうはふ)の地名(ちめい)空(むな)しからさるを知(し)り
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常磐(ときは)神社(じんじや)境外(けいぐわい)酒楼(しゆろう)遊醼(ゆうえん)の図(づ)
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師(し)及(およ)び衆僧(しゆそう)に命(めい)じて法華經(ほけけう)一部(ぶ)を寫(うつ)さしめ又法華(ほつけ)
帰依(きえ)の輩(ともから)には各(おの/\)題目(たいもく)一遍(へん)を記(しる)さし釋迦(しやか)の立像(りうぞう)一體(たい)を
彫刻(てうこく)して其(その)胎中(たいちう)に籠(こめ)彼(かの)古松(こしやう)ありし地(ち)に一宇(う)を建立(こんりう)
して件(くたん)の像(ぞう)を安置(あんち)し是(これ)を妙法教主殿(めうはふきようしゆでん)といふ今廃(はい)す
(略)
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常磐(ときは)神社(じんじや)の
神樂殿(かくらでん)にそなへらるゝ大鼓(たいこ)は
天保(てんほ)中景山公(けいざんこう)の追鳥狩(おいとりかり)を
催(もよふ)されし折(おり)用(もち)ひられたるものにして
當時(とうじ)車臺(しやだい)に据付(すへつけ)たる容(さま)を摸(うつ)して此(こゝ)に出(いた)す
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右は經筒(きやうつゝ)を納(おさ)めたる箱(はこ)の表(おもて)に記(しる)されたるものにして義(ぎ)
公(こう)の撰文(せんぶん)なり今神崎寺(かみさきじ)の什器(じうき)たり其図前(づまへ)に出(いた)す
妙法滝(めうはうたき) 妙法崎(めうはうさき)の東(ひがし)は断岸(だんがん)にして此(こゝ)に髙(たか)さ弐丈(しやう)幅(はゞ)四
尺ばかりの瀑布(たき)ありて頗(すこぶ)る壮観(そうくわん)なりしか近(ちか)き年(とし)其源(そのげん)青(あを)
川といへる渕(ふち)の堤(つゝみ)崩壊(ほうくわい)せしより水涸(か)れ瀧(たき)も亦(また)廃(はい)せり
神崎岩(かみさきいわ) 青川(あをかは)の邉(へん)より湖水(こすい)に沿(そ)ふて岩穴(いわあな)数箇所(すかしよ)ありて
切出(きりいた)す井筒(ゐつゝ)あるひは竈(かまと)よふのものを造(つく)りて水戸の市街(しかい)
又は近郷(きんがう)迠(まて)もひさきて産業(なりはい)とすされと其質(そのしつ)柔(やはら)かに
して久(ひさ)しきに堪(た)へす往年(わうねん)此所(ところ)より石斧(せきふ)三箇(か)を出せり俗(ぞく)
に天狗(てんぐ)の爪(つめ)又龍(りゆう)の爪(つめ)なといへり石斧(せきふ)を出(いた)せる地(ち)諸國(しよこく)に
多(おゝ)し珍(ちん)とするに足(た)らす
梅戸崎(うめとさき) 水戸上市(かみいち)下梅香(したばいかう)といへる士族(しぞく)弟地(ていち)の南裏(みなみうら)にし
て湖中(こちう)にさし出たる地(ち)なり偕楽園(かいらくえん)より東(ひかし)に望(のぞ)める出崎(でさき)
にして往昔(わうせき)佐竹氏(さたけうじ)の族(ぞく)梅香齊(ばいかうさい)と云(いゝ)し人此處(ところ)に住(じう)せし
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常磐(ときは)神社(じんじや)大鼓(たいこ)の銘(めい) 五分五厘の一縮字(しゆくじ)文字(もんじ)彫下(ほりさげ)箔置(はくおき)
震天動地
起雲發風
三軍踊躍
進恩盡忠
右前面胴(ぜんめんどう)の左りの方(かた)にあり胴總體木地臘塗(どうそうたいきちろうぬり)
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仝(おなじ)く胴(どう)の右の方(かた)にあり
天保十二
年辛丑冬
十一月
源朝臣齊昭字子信氏 文能附衆武能威敵(印) [印面(いんめん/徑(わたり)八/寸三/分)]
――――――――――
とそ故(ゆへ)に此(この)稱(しやう)あり其後(そののち)天和(てんわ)年間(ねんかん)丹波(たんば)の人安藤(あんとう)為実(ためざね)
爲章(ためあきら)とて同胞(はらから)國学(こくがく)に聞(きこ)へありしを水戸義公(ぎかう)召出(めしいた)し
て食禄(しよくろく)を賜(たま)はり爲実(ためざね)に此地(ち)を賜(たも)ふ邸中(ていちう)多(おゝ)く栗樹(くり)
を栽(う)へて其居(そのきよ)皆(みな)栗材(りつざい)を用(もち)ゆ義公(ぎかう)其亭(てい)を命(なつ)けて栗
里(りつり)と云(い)ふ又其亭中(ていちう)より望(のそ)む處(ところ)の九景(きうけい)を撰(えら)ふそは次の
文中(ぶんちう)に見(み)へたり[梅香斎(ばいこうさい)光重(みつしげ)は八田(はつた)知家(ともいへ)の裔(えい)にして那珂郡(なかこふり)八田に在(あ)り大掾氏(だいぜうし)ニ/属(そく)し江戸(えと)重通(しけみち)の為に追(お)はる此地(ち)に住(ちゆう)せし事(こと)いまた考(かんが)へす]
(略)
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妙法崎(めうはふさき)
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如法經筒(によほうけふづゝ)
總体(そうたい)銅製(どうせい)なり裡(うち)に如法經(によほうけふ)云々の文(ぶん)左り文字(もじ)にうち
出(いた)したる如(ごと)く見(み)ゆるは表(おもて)より打(うち)こみたるが現(あら)はれしも
のとおぼし但(たゞ)し表面(へうめん)は古(ふる)く土中(どちう)にありしをもて腐
朽(ふきう)し文字(もんじ)の形(かたち)見(み)へ難(がた)し
蓋 長一尺七分
徑四寸五分 囲一尺八寸
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神崎岩(かみさきいわ)
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得月亭(とくけつてい) 元禄中(げんろくちう)水戸藩士(はんし)忍穗(おしほ)利重(とししげ)なる人今の梅巷(ばいかう)に住(しゆふ)
せしか義公(ぎかう)屡(しば/\)其亭(てい)に入(い)りて眺望(てうはふ)の妙(たへ)なるを愛(あい)し淂月亭(とくげつてい)と
命(なつ)けらる利重(とししけ)夙(つと)に文雅(ぶんが)を好(この)み和歌(わか)に長(ちよふ)せり當時(とうじ)文墨(ぶんぼく)の士(し)
此亭(てい)に題(たい)する詩歌(しいか)多(おゝ)し今略(りやく)す
(略)
栁堤(やなきつゝみ) 水戸上市(いち)より下市(いち)への通路(つうろ)にして長(なかさ)凡(およそ)拾四町幅(はゞ)三
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梅戸崎(むめとさき)
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間半板橋(いたはし)三箇所(かしよ)に架(が)す慶安(けいあん)四年辛夘湖中(こちう)を埋(うづ)め是(これ)を築(きつ)
く故(ゆへ)に新道(しんみち)と呼(よ)へり其後(そのゝち)元禄(げんろく)三年庚午堤(つゝみ)の左右に栁(やなき)楓(かへで)
の類(たぐ)ひ数(す)百株(しゆ)を植(うへ)させられ行人(こうじん)暑(しよ)を避(さく)るの便(たよ)りとす依(より)て
栁堤(やなきつゝみ)ともいへり爾来(しかりしより)枝葉(しやう)茂(しげ)りて緑色(みとりのいろ)深(ふか)く其(その)景色(けいしよく)の妙(たえ)な
る彼(かの)西湖(せいこ)蘓堤(そてい)の趣(おもむ)きにも譲(ゆつら)すといふべし
(略)
三魂(みたま)ヶ崎(さき) 下市(いち)七軒町(けんてう)竈(かまど)神社(じんじや)の舊境内(きうけいだい)にして今濱田村(はまだむら)に屬(ぞく)
すさゝやかなる杜(もり)にして西南(せいなん)は湖水(こすい)に枕(のぞ)み又東(ひがし)にめくりて七軒(けん)
[町(てう)/と]紺屋町(こんやてう)の際(あいだ)に架(わた)せる魂消橋(たまけはし)に至(いた)る是(これ)千波湖(ばこ)より伊奈堀(いなほり)へ
通(つう)する水脈(すいみやく)にして流末(りうまつ)は涸沼(ひぬま)の下流(かりう)に合(がつ)す此地(ち)は彼(かの)偕楽園(かいらくえん)よ
り平臨(へいりん)する湖水の東(ひかし)岸に在(あり)て目標(もくへう)とする處(ところ)なり[竃(かまと)神社(じんじや)は水/戸七社(しや)の一]
[員(ゐん)にして元(もと)水戸城(じやう)の外郭(ぐわいくわく)に在(あ)り今其所(そのところ)を宍倉(しゝくら)といへり寛永(くわんゑい)三年下市(いち)赤沼(あかぬま)/町(てう)にうつし元録(げんろく)三年又今の七軒町(けんてう)に遷(うつ)されしとなり祭神(さいじん)は奥津彦(おきつひこ)中御名方(みなかた)]
[奥津姫(おきつひめ)の三座にして世(よ)に是(これ)を三宝荒神(ぼうくわうじん)と称(せう)す毎歳(まいさい)六月十六日より同く十/九日まて出社(しつしや)ありて市中(しちう)の賑(にぎは)ひ大方(おゝかた)ならす]
魂消橋(たまけはし) 紺屋町(こんやてう)と七軒町(けんてう)の間(あいた)伊奈堀(いなほり)の上流(せうりう)に架(か)す長(なかさ)拾弐間幅(はヾ)三
間慶長(けいちやう)七年伊奈(いな)備前守(びぜんのかみ)奉行(ぶぎやう)として千波湖(せんばこ)を疏通(そつう)して茨城郡(いばらきこふり)
大野郷(おゝのごう)弐拾ケ村餘(よ)の用水(やうすい)とす同年初(はじ)めて此橋(はし)を架(かけ)させられ魂(たま)
消橋(けはし)と命(なつ)く按(あん)ずるに開元(かいげん)遺事(ゐじ)に
長安東覇陵有橋、來迎去送至此橋、爲離別之地、
故人呼之銷魂橋也、云々
此地(ち)も水戸の市端(まちはつれ)にして上途(たひたち)の客(かく)を送(おく)るもの多(おほ)くは此橋(はし)にして
袂(たもと)を別(わか)つされは前文(ぜんぶん)の古事(こじ)に擬(なぞら)へ斯(かく)は名付(なつけ)られしならん歟(か)
藤柄(ふちから) 今藤柄町(ふちからてう)といふ陸前(りくぜん)濱街道(はまかいどう)にして東京(とうきよう)より三陸(りく)への往還(わうくわん)なり
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栁堤(やなきつゝみ)
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此所(ところ)は古(ふる)くより奥羽(おくう)の官道(くわんとう)にして並木(なみき)の松(まつ)の枯槁(ここう)したる其(その)
根(ね)のみ近来(きんらい)まて残(のこ)りしか中には圍(かこ)み弐丈許(じやうばかり)もあらんと覚(おぼ)
しきもありし西北(せいほく)は千波湖(せんばこ)及(およ)び水戸城(じやう)を望(のぞ)み風景(ふうけい)最(もつと)も好(よ)し
里諺(りげん)に日本武尊(やまとたけのみこと)東夷(とうゐ)を鎮(しつ)め凱旋(がいせん)の日今の朝(あさ)日山(やま)の麓(ふもと)
に着舩(ちやくせん)ありし時(とき)ありおふ藤葛(ふちかつら)をもて御舩(みふね)を繋(つな)きとめられ
たるより此称(しよう)起(おこ)れりと蓋(けた)し附會(ふくわい)の説(せつ)なるべし
吉田(よした)の杜(もり) 一に朝日山(あさひやま)といふ東(ひがし)に向(むか)ひたる岡(おか)にして常(つね)に旭日(あさひ)をう
くるゆへに尓稱(しかとな)ふとなり吉田(よした)神社(じんじや)の境内(けいだい)にして吉田村(よしたむら)の地(ち)
に属(ぞく)す當社(とうしや)は延喜式(えんぎしき)神名帳(しんめいてう)に載(の)する所(ところ)の常陸國(ひたちのくに)那珂(なか)
郡(かふり)吉田(よした)神社(じんじや)是(これ)なり[今茨城郡(いばらきこふり)に入(ゐ)る古来(こらい)沿革(えんかく)の圖(づ)を考(かんが)ふるに今の/茨城郡(いはらきかうり)の地(ち)半(なか)ばは那珂郡(なかかふり)にして當社(とうしや)も同郡(どうぐん)]
[中(ちう)にありし/事明(あけ)し]創立(ぞうりふ)の年月詳(つまびら)かならす今神庫(しんこ)に傳(つた)ふる處(ところ)正安(しやうあん)の
文書(もんじよ)に據(よつ)て考(かんが)ふるに人皇廿一代 安康天皇(あんかうてんわう)より同(おなしく)廿六代
武烈天皇(ぶれつてんわう)兩朝(りやうてう)の間(あいた)にあり[九十二代(たい)後伏見帝(ごふしみてい)正安(しやうあん)四年己亥の文書(もんじよ)に/當社(とうしや)勧請(くわんじやう)以来(いらい)八百餘歳(よさい)云々と見(み)えたり]
祭神(さいじん)日本武尊(やまとたけのみこと)にして文徳実録(もんとくじゆつろく)及(およ)び三代実録(たいじゆつろく)等(とう)に神階(しんかい)
を進(すゝ)められし事往々(わう/\)見(み)へたり又
神樂記曰武尊奉 勅東征焉、駿河之夷賊欺武
尊之時、因草薙之宝劔之威徳、遁其難、盡平伏、而
經歴相摸上總下總常陸、過於鹿島神宮、入御于
當宮、揚錦幢於朝日山三角山、奉崇吉田大明神、
以來靈騒殊新、云々
右の文(ぶん)に據(より)て當社(とうしや)を尊(みこと)の遺跡(ゐせき)なりと云(いゝ)つたへたるにや日本(にほん)
紀(き) 景行(けいかう)の巻(まき)に蝦夷(えぞ)既(すて)に平(たいら)きて西南(せいなん)常陸(ひたち)を經(へ)て甲斐(かひの)
國(くに)酒折宮(さかおれのみや)に到(いた)り「にいまりつくはをこへていくよかねつる」の
咏(えい)ありし事見(み)へたりされは當國(とうごく)を過(す)きて西上給(せいせうしたま)ひし事は
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藤柄並木(ふちからなみき)
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疑(うつ)なし總(すべ)て關東(くわんとう)尊(みこと)の遺蹟(ゐせき)と称(とな)ふる地(ち)所々(しよ/\)に多(おゝ)し當社(とうしや)は式(しき)
内(ない)の大社(たいしや)にして創立(そうりふ)以降(いかう)すてに千有餘年(ゆふよねん)の久(ひさ)しを經(ふ)れは果(はた)
して其(その)遺跡(ゐせき)たるや知(し)るへからす毎歳(まいさい)九月十五日をもつて之(これ)を祀(まつ)
る[當社(とうしや)二の華表(とりゐ)の額(がく)に第(たい)三の宮(みや)とあるは 正親町帝(おゝきまちてい)の皇子(わうじ)誠仁親王(しんわう)/の親翰(しんかん)なり後陽成帝(ごようせいてい)の朝(てう)天正(せう)中陽光帝(やうくわうてい)と追号(ついがう)し奉(たてまつ)る和尓雅(わじが)に]
[常陸(ひたち)の三社(しや)といへるは鹿島(かしま)神社大洗(おゝあらい)磯前(いそさき)神社静(しづ)神社とありて當社(とうしや)/は見(み)へす一説(あるせつ)に吉田神社笠原(かさはら)神社阪戸(さかと)神社を合(あは)せて水戸三社といふと]
[なり又笠原(かさはら)神社阪戸(さかと)神社竃(かまど)神社國見(くにみ)神社早歳(はやとし)神社/新飯(にゐいゝ)神社水戸神社之(これ)を水戸七社と称(しやう)し吉田の摂社(せつしや)とす]
(略)
笠原山(かさはらやま) 笠原新田(しんでん)に在(あ)り吉田の杜(もり)の西(にし)八町許(てうばかり)にして今
一等(とう)官林(くわんりん)となる松杉(しやうさん)鬱蒼(うつそう)として林位(りんゐ)當郡(とうぐん)に冠(くわん)たり山(さん)
頂(てう)水神(すいじん)を祠(まつ)る石階(せきかい)の左右(さゆう)に清泉(せいせん)涌出(ゆしゆつ)し東流(とうりう)して下市(しもいち)
の用水(やうすい)となる寛文(くわんふん)年中下總(しもふさ)の人平賀(ひらか)勘(かん)衛門保秀(やすひて)関(せき)
流(りう)の算術(さんじゆつ)に長(てう)じ兼(かね)て水理(すいり)に精(くは)しきをもて水戸に召(めし)て
禄(ろく)を賜(たも)ふ時(とき)に濱田(はまだ)の市坊(しばう)飲料(ゐんりやう)に乏(とぼ)しく毎戸(こことに)これを患(うれ)
ふ依(よつ)て保秀(やすひて)に命(めい)じ暗樋(ふせひ)を爲(つく)り此泉(いつみ)を市街(しがい)に通(つう)じ初(はじ)め
て用水(ようすい)の便(べん)を得(え)たり今の笠原(かさはら)水道(すいどう)是(これ)なり文化(ぶんくわ)年間(ねんかん)水
戸哀公(あいこう)浴德泉(よくとくせん)と名付(なつけ)景山公(けいさんかう)その三大字(じ)を書(しよ)し藤田(ふちた)一
正(せい)又これか記(き)を作(つく)り石(いし)に鐫(えり)て笠原(かさはら)の水源(すいげん)に建(たて)らる碑(ひ)今
現存(げんそん)す抑(そも/\)此地(ち)は水戸の市街(しくわい)を距(さ)ること弐拾餘(よ)町にして
幽邃(いうすい)の地(ち)たり社前(しやぜん)石階(せきかい)の下(もと)には逆川(さかさかは)の流(なか)れを帯(お)ひ松楓(しやうふう)
枝(えた)を交(まじ)へて濃陰(のういん)喬(たか)く石上(せきしやう)苔(こけ)滑(なめら)かにして人跡(じんせき)稀(まれ)なり花を
尋(たつ)ね紅葉(もみち)を愛(めつ)る輩(ともから)は多(おゝ)く此地(ち)をもて第(たい)一とす就中(なかんつく)夏日(かじつ)
炎暑(えんしよ)の候(ころ)には衆人(しゆうじん)此(こゝ)に来(きた)りて涼(りふ)を納(い)れ水を掬(むす)ぶ常(つね)に
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消魂橋(たまけはし)
――――――――――
騒人(そふじん)の詞藻(しそう)をのぶるに足(た)れり
笠原(かさはら)水源(すいげん) 社前(しやぜん)石階(せきかい)の右の方(かた)にあり崖(かけ)の中段(ちうだん)より湧(わき)いて筧(かけひ)
を設(もふ)けて水をうけ唐銅(からかね)にて造(つく)りたる龍(りゆう)の口(くち)より吐出(はきいた)して直(たゞ)ちに
暗樋(ふせとひ)に入(ゐ)り千波湖(せんはこ)の南岸(なんがん)を東(ひがし)に回(めぐ)り濱田(はまた)の市坊(しばう)に通(つう)ぜり
浴德泉(よくとくせん)の碑(ひ) 同所(どうしよ)逆川(さかさかは)の西岸(せいがん)にあり自然石(じねんせき)にして縦(たて)三尺八
寸一分横(よこ)四尺六寸石質(せきしつ)堅牢(けんろう)にして黒色(こくしよく)なり加藤(かとう)堅安(もとやす)なる
人の發起(ほつき)にして文政(ぶんせい)九年の建置(けんち)なり藤田(ふちた)幽谷子(いふこくし)の撰文(せんぶん)にし
て宇留野(うるの)弘(こう)の書(しよ)なり[幽谷子(いふこくし)俗称(ぞくしやう)次郎左衛門といふ/東湖(とうこ)の父(ちゝ)にして水戸の儒臣(じゆしん)たり]浴德(よくとく)
泉(せん)の題字(だいじ)は景山公(けいさんこう)の親筆(しんひつ)にして幽谷子(いふこくし)に賜(たま)ふ所(ところ)なり
(略)
――――――――――
朝日山(あさひやま)
吉田(よした)神社(じんじや)
――――――――――
千波原(せんははら)操練(そうれん)
――――――――――
漱石所(そうせきじよ)に商人(あきひと)
を招(まね)き酒食(しゆしよく)を
賜(たも)ふ圖(づ)
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浴德泉(よくとくせん)
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逆川(さかさかは)東茨城郡(ひかしいはらきかふり)東野(とうの)新田(しんでん)の池水(ちすい)より発(はつ)し笠原(かさはら)新田(しんでん)にて
同處(どうしよ)官林(くわんりん)の東(ひがし)を屈曲(くつきよく)して北(きた)に流(なが)れ千波村(はむら)の地先(ちさき)田(でん)
畝(ほ)の間(あいた)を経(へ)て千波湖(せんばこ)に落(おつ)るなり水浅(あさ)くして舟行(しふかふ)なし
漱石所(そうせきじよ)の跡(あと) 浴德泉(よくとくせん)碑石(ひせき)の邉(へん)をいふ天和(てんわ)年間(かん)の頃(ころ)とかや此
處(ところ)に茶亭(さてい)を設(もふ)け漱石所(そうせきじよ)と名付(なつけ)游息(ゆうそく)の地(ち)とせらる水戸義公(ぎかう)
在國(ざいこく)の折(おり)にはしは/\此所(ところ)に逍遥(せうよう)せられ曲水(きよくすい)の晏なと催(もよふ)され
又府下(ふか)の豪商(がうしやう)をめし集(あつ)めて酒肴(しゆかう)を賜(たま)はりし事もありし
とそ其頃(そのころ)此亭(てい)の禁條(きんぜう)を示(しめ)さる
(略)
千波原(せんばはら) 東茨城郡(ひかしいばらきこふり)千波村(むら)に属(ぞく)す東西(とうざい)凡(およそ)拾町南北(なんぼく)六七町
許(ばかり)の平原(へいげん)にして三方(はう)すへて山林(さんりん)に連(つらな)り西(にし)の方(かた)は濱街道(はまくわいどう)
に接(せつ)す此地(ち)は水戸城(じやう)を距(さ)る事弐拾餘(よ)町にして千波湖(こ)
の南岸(なんがん)にあり景山源公(けいさんげんこう)世(よ)を継(つぎ)給ひしより 王室(をうしつ)を
尊(とふと)み藩屏(はんへい)の任(にん)を重(おも)んじ天下非常(ひじやう)の用(よう)に供(きよう)せんか爲(ため)専(もつは)ら
武枝(ぶき)を擴張(かくてう)し當時(そのかみ)郭内(くわくない)に弘道館(こうどうくわん)を設(もふ)け各(おの/\)その師(し)を
撰(えら)ひ國中(こくちう)の士民(しみん)をして教導(けうどう)奨励(しやうれい)し給ひしかは列藩(れつはん)その風(ふう)
に傚(なら)ふて来(きたつ)ておしえを受(うく)る者(もの)多(おほ)し公(こう)豫(あらじ)め此地(ち)を相(そう)し人(にん)
馬(ば)操練(そうれん)に便(べん)なるをもて遂(つい)に追鳥狩(おいとりかり)の挙(きよ)あり其(その)作法(さほう)皆(みな)
古(いにし)えに徴(ちやう)し行装(きようそう)善美(ぜんび)を尽(つくさ)ざるはなし今に於(おひ)て公(こう)の政(せい)
蹟(せき)をあぐる一の美談(びだん)とはなれり
曲水(きよくすゐ)の宴(えん) 天保十三寅(とら)の彌生(やよひ)半(なか)は景山公(けいさんこう)偕楽園(かいらくえん)に逍遥(しようよう)
せられし頃(ころ)府下(ふか)の文才(ぶんさい)ある輩(ともがら)をあまた召集(めしつと)へ園(その)の西(にし)な
る狭渡川(さわたりかは)に臨(のぞ)み彼(かの)蘭亭(らんてい)の故(ふる)き例(ため)しに傚(なら)ひ觴(さかつき)を浮(うか)へて
終日(ひねもす)詩歌(しいか)の興(けう)を添(そへ)られしとなり是は徃(いん)し寛文(くわんぶん)の初(はじ)め西(せい)
山公(ざんこう)の緑(みとり)か岡(おか)に髙枕亭(かうちんてい)を設(もふ)けさせ給(たま)ひし時(とき)此所(ところ)に於(おい)て
曲水(きよくすい)の宴(えん)を催(もよ)ふされたる昔(むか)しを懐(おも)ひ出(いて)られ斯(かく)はものせ
られけるにや
養老會(ようろうくわい) 同年(おなしとし)九月(ながつきの)下旬(しもつかた)公(こう)好文亭(こうぶんてい)に坐(おは)して領中(れうちう)の貴賤(きせん)
甲乙(たれかれ)を問(と)はず齢(よはひ)髙(たか)き男女(なんによ)を召寄(めしよせ)詩(し)に歌(うた)に或(ある)ひは書画(しよぐは)
――――――――――
下(しも)に出(いた)せる画賛(ぐわさん)は景山公(けいざんこう)
の親筆(しんひつ)にして藩士(はんし)某(それがし)に賜(たま)は
りしものとて今其家(そのいへ)に傳(つた)ふ
是追鳥狩(おいとりがり)ありし時の口(くち)
すさみなり又同し頃(ころ)兜(かぶと)
の鉢(はち)に鐫付(ゑりつけ)られける歌(うた)
今日もまた桜
かさせる武士の
散るとて香をは
残さゝらめや
つつつつと つらねうつつつ つつつつの つつつつことに おとよはりけり
(花押影)
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の類(たぐ)ひ其(その)所好(すける)随意(まに/\)書(かき)つらねたてまつらせ色(いろ)よき絹(きぬ)ども
夥(あま)た賜(たま)はりし是(これ)将(はた)古(ふる)き例(ため)しを引(ひか)れたるとかや其後(そのゝち)公(こう)の薨(よを)
逝給(さりたま)ひてより富宮大夫人(とみのみやだいふじん)の文久(ふんきう)二年の冬(ふゆ)再(ふたゝ)ひ此亭中(ていちう)にて
七旬(なゝそち)に餘(あま)れる老翁(おきな)老媼(うば)幾人(いくたり)かめしあつめ物(もの)とらせ給ひ
ける其時(そのとき)の事実(ことから)は吉田(よした)令世(れいせい)か養老(ようろう)の記(き)青山(あをやま)延光(えんくわう)か序(じよ)に
詳(つまびら)かに見(み)へたり
(略)
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養老會(いやうろうくわい)
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書畫會(しよぐわくわい)
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天保(てんほ)十三年壬寅九月廿五日の養老會(いやうろうくわい)には八十歳(さい)より百
歳迠八十五人文久二年壬戌十月十八日の會には八十歳ゟ
九十五歳まて八十六人なりしといふ又明治十二年の秋(あき)舊(きう)
藩士(はんし)西宮(にしみや)宣明子(のぶあきし)か古例(これい)に傚(なら)ひて己(おの)か友(とも)がき幾人(いくたり)か上市(いち)
垂楊亭(すゐやうてい)といへる酒楼(しゆろう)に招(まね)き集(あつ)めて尚歯(しやうし)の會(くわい)を開(ひら)かれたる
其折(そのおり)の紀(き)とて 皇國(みくに)にて壽筵(じゆえん)を催(もやふ)されし古来(こらい)よりの
例(ため)しを幾行(いくくたり)か書載(かきの)せてつはらにものせられたるを贈(おこ)され
しまゝ因み(ちなみ)にこゝに載(の)す
垂楊亭(すゐやうてい)新室(にゐむろ)尚歯會記(しやうしくわいのき)
(略)
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樂壽會(らくじゆくわい)
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楽壽會(らくじゆくわい) 巻首(まきのはじめ)に説(とけ)る如(ごと)く去(さんぬ)る明治六年の冬(ふゆ) 官廷(くわんてい)
の允許(みゆるし)を淂(え)て偕楽園(かいらくえん)を公園(こうえん)と定(さだ)められしおり辱(かたしけな)く
も内務省(ないむしやう)より若干(そこばく)の金(こかね)を下(くた)し給(たま)はり園中(えんちふ)修補(しゆほ)の料(れう)
に充(みて)らる是(これ)景山源公(けいざんげんこう)の昔年(せきねん)國家(こくか)に勲労(くんろう)ありし事(こと)
を思(おぼ)し出されその遺蹟(ゐせき)を永世(えいせい)不朽(ふきう)に傳(つた)へ給はんとの
叡慮(えいりよ)に出るものにして國中(こくちう)の士民(しみん)昔(むか)し舊主(きうしゆ)の恩(おん)に浴(よく)
し今又 朝恩(ちようおん)の渥(あつ)きを仰(あほ)き誰(たれ)か感泣(かんきう)せざらんや同く
十六年縣廳(けんてう)の職員(しよくゐん)又能(よく)脇力(きようりよく)して各(おの/\)俸給(ほうきう)の幾分(いくぶん)を出
して年分(ねんぶん)の費用(ひよう)を資(たす)く則(すなは)ち是(これ)を楽寿會(らくじゆくわい)と名(な)づけ
春秋(しゆんしう)両度(りやうど)[四月/十月]好文亭(こうぶんてい)に集合(しうがう)して宴(えん)を開(ひら)くを例(れい)とす今茲(ことし)
三月更(さら)に其(その)規約(きやく)を定(さだ)め縣下(けんか)の人民(じんみん)甲乙(これかれ)を問(と)はす新(あら)たに
會員(くわゐゐん)に加入(かにう)するを許(ゆる)さる而(しか)して各自(かくじ)出す處(ところ)の會費(くわいひ)殊(こと)
に僅少(きんしやう)なりと雖(いへと)も 朝恩(ちやうおん)の渥(あつ)きと公(こう)の德輝(とくき)の著明(いやちこ)
なるを親(したし)く衆人(しゆじん)に示(しめ)されんとの計畫(けいぐはく)より出るなるへし
抑(そも/\)此會塲(くわいじやう)に臨(のぞ)みては素(もと)より髙卑(かうひ)貴賤(きせん)の別(べつ)なく皆(みな)その
圓座(まどひ)に列(つらな)りておのかしゝ或(ある)ひは詩哥(しいか)俳諧(はいかい)又は書画(しよぐわ)茶(ちや)の
湯(ゆ)の類(たぐ)ひを弄(もてあそ)ひ専(もつは)ら風流(ふうりう)のみを旨(むね)とせられしより席上(せきしやう)
もつとも蕭然(しめやか)にて彼(かの)酒狂(しゆきやう)放逸(はういつ)の挙動(ふるまい)なくおのつから閑(かん)
雅(が)清興(せいきやう)を極(きは)むこれ公(こう)の芳蹟(はうせき)を今日(こんにち)につたへ此會(くわい)を催(もよふ)
されしは公(こう)か昔日(せきじつ)の楽(たのし)みに譲(ゆず)らすといふへし
書畫會(しよぐわくわい) 明治十一年の春の頃(ころ)舊藩士(きうはんし)西宮(にしみや)宣明(せんめい)名越(なこや)一庵(あん)松(まつ)
平(たいら)雪山(せつさん)相川(あゐかは)益齊(えきさい)小河(おかう)逸齊(いつさい)の諸子(しよし)昔時(そのかみ)景山公(けいさんこう)好文亭(こうぶんてい)
に藩士(はんし)の齢(よはひ)七旬(じゆん)に餘(あま)れる人々(ひと/\)を召集(めしあつ)めて各(おの/\)其(その)嗜(たし)める道(みち)
に隨(したが)ひて詩歌(しいか)書画(しよぐは)の類(たぐ)ひを書(かゝ)しめ給ひ公(こう)また親(みつか)ら筆(ふて)
を採(とり)て其上(そのうへ)に題(だい)し終日(ひねもす)風雅(ふうが)の興(きやう)を添(そ)へられし昔(むかし)を欽(きん)
慕(ぼ)し官廳(くわんてう)の允許(ゆるし)を淂(え)て同好(どうこう)の士(し)を招請(しやう/″\)し同年四月
初(はじ)めて偕楽園(かいらくえん)に此雅會(かくわい)を開(ひら)きしより遠近(えんきん)聞傳(きゝつた)へ語(かた)りつ
たへて来観(らいくわん)するもの多く毎歳(まいさい)春秋(しゆんじう)弐季(き)[四月/九月]かならす
是(これ)を催(もよ)ふさるゝ事(こと)にはなりし
常磐公園攬勝圖誌(ときはこうえんらんしやうづし)下巻終