古への竒書は必ず名山の宬(せい)に出づ矣。
則ち名山なれば冝しく竒書を蓄(たくは)ふべく、
而して竒書なれば冝しく名山に蔵さるるべき也。
今、我が偕樂の園たる、
山眀かるく水媚(うつく)しく、
固(もと)より勝地と稱す。
先君烈公(れっこう)の樓榭(ろうしゃ)を修起するに及び、
山水の美益(ますま)す著(あきら)けく、
居然として東國の名園たり矣。
爾来、此(ここ)に遊ぶ者は、
鉅公(きょこう)に非ざれば則ち騒士(そうし)にして、
蠟屐(ろうげき)恒(つね)に焉(ここ)に盈(み)つ。
然れども一編の竒書を蔵すること則ち未だしなり。
豈に缺事(けつじ)に非ずや。
松平君雪江、夙(つと)に丹青を善くし、文雅に冨む。
頃者(このごろ)、凡(およ)そ園の秘景・竒勝に係(かか)る者を網羅し、
以て一編と為し、名づけて攬勝圖誌と曰(い)ふ。
書成れり矣。将に諸(これ)を園に弆(をさ)め、以て其の傳を永くせんとし、
弁言を予に徴す。予、受けて讀むこと一過。
圖や巧みにして以て目を遊ばすに足り、
誌や詳(つまびら)かにして以て懐(おも)ひを騁(の)ばすに足る。
其の快、啻(ただ)に頭風を瘉すのみならざれば、
乃ち案を拍(う)って喜びて曰く、竒書なり矣、
此れ以て彼の缺事を補ふ可きなりと。
夫(そ)れ竒を編じて補ふ所有るは、
其れ之を目して之を書中の千金方と謂はざる可けんや。
嗚呼(ああ)貴ぶ可きかな。
世の好古の癖(へき)を抱く者、得て之を讀まん邪(か)。
其の癖を醫(いや)すに於けるは、何(いづ)くにか有る。
乃ち彼の泉石は膏肓の、烟霞は痼疾の如きは、
亦た得て療(いや)す可きなり。
則ち其の重んず可きは、豈(あ)に千金に止(と)どまる已(のみ)ならん。
即ち、又た之を目して金に換へられずと曰(い)ふも、亦た可なり矣。
冝(むべ)なるかな、
雪江の将に以て諸(これ)を名園の金匱(きんき)に蔵さんとするや。
而して我が名園に在っては、
其れ亦た固(もと)より此の竒編をも少なしとす可きか。
是に於て叙す。
明治十八年仲秋
    陽軒 手塚悳進撰
 水戸
    一庵 名越敏樹書