偕樂園記
天に日月(じつげつ)有り、地に山川有り。
萬物を曲成して遺(あま)さず。
禽獣・草木、各(おのお)の其の性命を保つは、
一隂一陽、其の道を成し、
一寒一暑、其の冝しきを得るを以てなり。
諸(これ)を弓馬に譬(たと)へん。
弓は一張一弛有って恒に勁(つよ)く、
馬は一馳一息有って恒に健(すこや)かなり。
弓に一弛無くんば則ち必ず撓(たわ)み、
馬に一息旡くんば則ち必ず殪(たふ)る。
是れ自然の勢なり。
夫(そ)れ人は萬物の靈にして、
其の或るは君子と爲り或るは小人と爲る所以(ゆえん)の者は何ぞや。
其の心の存すると存せざるとに在るのみ。
語に曰く、性相ひ近く、習相ひ遠しと。
善に習へば則ち君子と爲り、
不善に習へば則ち小人と爲る。
今、善なる者を以て之を言はば、
四端を擴充し以て其の德を脩め、
六藝に優游して以て其の業に勤(いそし)むは、
是れ其の習、則ち相ひ遠き者なり。
然れども其の氣禀、或ひは齊(ひと)しくすること能(あた)はず。
是を以て屈伸緩急して相ひ待し、
而して其の性命を全(まっと)ふする者は
夫(か)の萬物と何を以て異らんや。
故に心を存して德を修め、其の萬物と異なる者を養ふは
其の性に率(したが)ふ所以にして
形を安んじ神を怡(よろこ)ばし、其の萬物と同じき者を養ふは
其の命を保つの所以なり。
二者、皆な其節に中(あた)れば、善く養ふと謂(い)ふ可し。
故に曰く、苟(いやし)くも其の養ふを得れば物の長ぜざる莫(な)く、
苟くも其の養ふを失へば物の消へざる无(な)し。
是れも亦た自然の勢なり。
然れば則ち、人も亦た弛息無かる可からざること固(もと)よりなり矣。
嗚呼(ああ)、孔子の曾點に與(くみ)し、孟軻の夏諺を稱する、
良(まこと)に以(ゆへ)有るなり。
果たして此の道に由れば、則ち其の弛熄して形を安んじ神を怡ばす、
將に何れの時にか可ならんとする邪(や)。
必ず其の華晨(かしん)に吟咏し、月夕に飲醼(いんえん)する者は、文を學ぶの餘なり。
田埜に放鷹し、山谷に驅獸する者は、武を講ずるの暇なり。
余、嘗(かつ)て吾が藩に就き、山川を跋渉し、原野を周視す。
城西に直(あた)り、闓豁(がいかつ)の地有り。
西に筑峯を望み、南に僊湖に臨む。
凡そ城南の勝景、皆な一瞬の閒に集まる。
遠巒・遙峰、尺寸千里にして、
翠を攢(あつ)め白を疊(たた)み、四瞻して一(いつ)の如し。
而して山は以て動植を發育し、水は以て飛潛を馴擾(じゅんじょう)す。
洵(まこと)に知仁一趣の樂郊と謂ふ可きなり。
是に於て、梅の樹數千株を藝(う)え、以て魁春の地を表(あらは)す。
又た二亭を作る。好文と曰ひ、一遊と曰ふ。
啻(ただ)に以て他日の茇愒(ばっけい)の所に供するのみに非ず。
蓋(けだ)し亦た國中の人をして優游・存養する所有らんと欲す。
國中の人、如(も)し吾が心を體し、夙夜懈(おこた)る匪(な)く、
既に能く其の德を修め、又た能く其の業に勤(いそし)み、
時に餘暇有れば、乃(すなは)ち親戚相ひ携(たづさ)へ、朋友相ひ伴(ともな)ひ、
悠然として二亭の間に逍遙し、
或るは詩歌を倡酬(しょうしゅう)し、或るは管弦を弄撫(ろうぶ)し、
或るは紙を展(の)べて毫(ふで)を揮(ふる)ひ、或るは石に坐して茶を點じ、
或るは瓢尊を花前に傾け、或るは竹竿を湖上に投じ、
唯だ意の適(ゆ)く所に従へば、弛張已(すで)に其の宜しきを得ん。
是れ余の衆と與(とも)に樂しみを同じうするの意なり。
因(よっ)て之に命じて偕樂園と曰ふ。
天保十年歳次己亥夏五月建。景山撰并びに書及び題額。