町名廃止期日 | 昭和43年4月 |
---|---|
現在の町名 | 大工町2丁目,新荘1~3丁目,東原1丁目 |
設置場所 | 新荘1丁目5番65号(砂久保町児童公園内) |
周辺風景 | |
設置時期 | 昭和61年3月 |
町名等揮毫者 | 菊池遊魚 |
解説 | 藩政時代には常葉町の一部で、青川の浸蝕谷の窪地であったことから砂窪と呼ばれていた。昭和八年に水戸市に合併し、翌年に水戸市砂久保町となった。 |
町名廃止期日 | 昭和43年4月 |
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現在の町名 | 大工町2丁目,新荘1~3丁目,東原1丁目 |
設置場所 | 新荘1丁目5番65号(砂久保町児童公園内) |
周辺風景 | |
設置時期 | 昭和61年3月 |
町名等揮毫者 | 菊池遊魚 |
解説 | 藩政時代には常葉町の一部で、青川の浸蝕谷の窪地であったことから砂窪と呼ばれていた。昭和八年に水戸市に合併し、翌年に水戸市砂久保町となった。 |