昭和三十七年「住居表示に関する法律」が公布されました。これは多くの都市が人口の増大につれて、市域が拡大し、又旧市街地においても住宅の密集化や高層化によって、従来の町名や地番の呼称では、市民生活に種々の不便を来たし、生活の障害が起こって参りましたので、これらの町名を合理的に整理、統合して市域住民や市政上の利便を図るためのものでした。
本市においても昭和四十一年から七回にわたり「住居表示事業」による町名の整理が行なわれ、一六四の旧町名がその対象となり、私達が長く親しんで来た多くの城下町にちなんだ古来の町名が消え去って行きました。
水戸は、徳川氏の時代になってから、本格的に三十五万石の城下町としての整備拡充が行なわれ、多くの武士や町人が定住するようになって、町としての型が出来上り、それから昭和四十年までの約三百年間、これらの町の名は基本的に大きな変化もなく、私達の祖先が何代か生活を共にして来た訳であります。
以下本編の内容に出て来るようなこれらの旧町名が、約半数位の新町名に整理され、生活の面で非常に合理化されて便利になりました。昭和五十六年、関係の方々や市民の御協力により一応「住居表示」・「町名合理化」事業は、一区切りの時期に至り、所期の目的を達成する事が出来ましたので、今回、市ではこの方面の専門の先生方と協力して、旧町名の由来や江戸時代初期からの町の状況、そこに生活した住民の数や家並みの様子など、詳細に記録して、水戸の町の移り変わりの記録をまとめてみました。
この「住居表示事業」は、長い水戸市の歩みの一つの節目として、大きな進歩である反面、これによって懐かしい町の名が私達の生活の中から消え去る訳であります。これらの事業の概況や旧町名を正確に記録して、これから水戸に生まれ、水戸で生活する人々に伝える事は、私達の義務であり、この記録を後世に残す事は誠に意義ある事と考えております。
皆様も既に御承知のように、昭和三十四年から市史の編さん事業が行なわれ、「水戸市史」四冊が刊行されていますが、これは主に水戸藩を中心にした政治、経済、文化の動きを歴史的な角度からとらえたものでして、今回の〝水戸の町名〟は、これに更に地理的な要素を加え、町の姿やその生活などを町人の側からの記述を行なっておりますので、市史と異なった別の意味から興味深いものと思われます。
又ここでは、これらの市街地以外、合併されて水戸市となった地区の小字名を全部集録し、読みがなをつけてみました。この小字名は、今後ここに住む人達にもあまり使われる事もなくなって行くものと考えられますので、これらの地区の歴史を語ってくれるものとして、ここで改めて小字名の所在や読み方を確認しておく必要があると思います。
この記録作成にあたり、約二年間、調査、研究に努力された「茨城歴史地理の会」の先生方、又史料などの提供をいただいた市民の方々と各関係機関の皆様方に厚くお礼を申し上げます。
昭和五十七年三月
水戸市長 和田 祐之介