町方の人口は、領内商・工業の統制や諸町役の徴収の関係もあって、調査され人別帳も作成されている。その総人口数は「町方の人口表」の通りである。天保四年(一八三三)には、戸口調査書上げより推計すると人別記載人口は七千余人と見られる。これに奉公や行商などによる一時的居住者が約二千人程度は居たと思われるので、町方には常に一万人前後の人口があったことになる。
明治中期の水戸城(水戸市案内より)
町方の人口表 | |
年号 | 人口 |
元禄15年(1702) | 12,964 |
享保11年(1726) | 10,991 |
明和5年(1768) | 8,385 |
天明3年(1783) | 7,834 |
寛政6年(1794) | 7,384 |
水戸市の航空写真(昭和53年10月撮影)
明治になって禄を失った士族の中には、生計を維持するために各地に転出する者があった。特別な産業や行政組織もなかった水戸では、そのような士族の転出は多かったと思われるが、その数は不明である。そうした動きも安定した明治二十二年(一八八九)の市制施行時、水戸の人口は二万五五九一人だった。このようなことから推定すると、江戸時代の水戸の人口は三万人前後ではなかっただろうか。