[[地区別の戸数]]

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 地区別の戸数を見ると、武家は上町の紀州堀以東で寛文年間に一六八戸、その約一七〇年後の天保年間には二二一戸となる。紀州堀以西では一六二戸が二四〇戸となっている。同じく下町の馬場川堀以西では八六戸が一〇七戸となり、以東では八四戸が一〇八戸、堀の南地帯では五七戸が七七戸となっている。これらの合計が武家戸数の総計にならないのは、町屋の中に混在している屋敷もあったからである。
 町人町では、上下両町の統計は「水戸上下御町丁数調書」(天保年間と推定)以外になく、その内容は表示の通りである。上町に三六町あって家数が九〇〇軒、下町には四四町あって九三三軒、合計で水戸の町人町は八〇町で一八三三軒となる。これを地区別に見ると、上町で堀の内の上・下金町地区は九町で二二八軒、泉町地区は六町で一四六軒となる。それらの延長である堀外の馬口労町地区は七町で一七二軒、向井町地区は十町で二五五軒となる。これ以外に南町地区の南側で千波湖に面した谷に、奈良屋町・宮下などの町人町が四町で九九軒あった。
 下町では、吉田大工町から細谷村の那珂川の渡船場につづく下新町まで、岩城・江戸の両街道沿いとその裏側通りに町屋が展開していた。中心の本町通り地区に二三町で五〇六軒、その延長地区である通り地区に七町で一六八軒、新町地区に六町で九三軒、吉田地区には八町で一六六軒あった。
 町人町の一町あたりの家数は、天保年間には上町が平均二五軒、下町が平均二一軒で、宝永六年(一七〇九)の下町は四一軒である。なお、下町全体の家数は、寛文八年(一六六八)には九一六軒、元禄三年には統計上に問題があるのか六三一軒で、宝永六年には七二七軒あった。
寛政9年上下町の武家屋敷数
上町内町上町外町下町
柵町5桜町14柳堤4河岸鉄炮場9
銀杏町15寺町14鼠町12向馬場13
南三ノ丸5裏寺町9水門町6赤沼町7
北三ノ丸6八王子町22石垣4中ノ町32
中三ノ丸7泉町裏町20竹熊13蓮池町20
大手前1藤坂町7横竹熊10浮町5
元白銀町5五軒町28御東台13御花畑6
田見小路20並松町12白銀町9細谷立浪町19
大町29撞木町16十軒町13御蔵前16
中町25与力町14三軒町3天海寺前表3
南町36信願寺町10荒神町15同裏4
裏南町13裏信願寺町7一ノ町8水門1
藤沢小路20餌指町3二ノ町12柵町4
上梅香12備前町35三ノ町26合計33町337軒
下梅香8釜神町8代官町19
黒羽根町13天王前町18前馬場6
大坂町9同横町13川崎15
鷹匠町23鳥見町20宝鏡院門前4上下町総計 
西町12同裏町4浮新町271町875軒 
計19町264軒計19町274軒門前橋向4  
合計  38町538軒    
(「水府志料」付録より作成)

水戸町方諸町間数家数一覧表(天保年間)
町名道路面の長さ 軒数平均間口町名道路面の長さ軒数平均間口
(上町)  (下町)  
上金町一町目南75間 北67間334.3吉田大工町一町目西42間 東60間137.8
〃  二町目南65間 北66間274.9〃    二町目西60間 東58間264.5
〃  三町目南63間 北60間294.2台町元一町目西40間 東26間97.3
鉄炮町 片町103間195.4〃  一町目西40間 東34間116.7
〃  両側町東38間 西36間98.2〃  二町目西55間 東60間215.5
下金町一町目南58間 北60間264.5〃  三町目西45間 東61間195.6
〃  二町目南62間 北59間264.7〃  四町目西54間 東61間225.2
〃  三町目 南60間 北59間294.1藤柄町西75間 東115間454.2
〃  四町目南77間 北63間304.7紺屋町176間384.6
馬口労町一町目南48間 北55間273.8七軒町西67間 東37間224.7
〃  二町目南54間 北46間263.8本一町目南67間 北61間187.1
〃  三町目南57間 北60間274.3裏一町目30間310.0
〃  四町目南60間 北39間185.5江戸町西45間 東45間224.1
〃  五町目南54間 北54間224.9本二町目南58間 北64間284.4
〃  六町目南54間 北54間264.2裏二町目26間64.3
〃  片町南178間266.8本三町目南60間 北60間264.6
向井町一町目南52間 北48間214.8裏三町目南57間 北42間263.8
〃  二町目南62間 北68間284.6本四町目南60間 北65間206.3
〃  三町目南69間 北66間353.9裏四町目北34間 東33間154.5
〃南横町一町目東42間 西50間194.8檜物町南25間 西48間193.8
〃  二町目東72間 西66間344.1清水町東73間 西57間333.9
〃  北横町東67間 西63間304.3三軒町48間104.8
〃  片町69間97.7肴町東47間 西47間146.7
久保町一町目南66間 北57間294.2青物町東78間 西58間314.4
〃  二町目南54間 北63間254.7本五町目南60間 北60間264.6
新大工町南70間 北82間256.1裏五町目南42間 北36間194.1
泉町  一町目南90間 北75間354.7本六町目南60間 北60間304.0
〃   二町目南76間 北75間324.7裏六町目北36間 南48間 西16間283.6
〃   三町目南57間 北57間196.0塩町西16間 東16間 南24間134.3
〃   穀町南58間 北56間293.9本七町目南60間 北60間323.8
本大工町南43間 北37間263.1裏七町目北42間 南58間 横町16間274.3
泉町片町34間56.8材木町東37間 南27間 西11間193.9
和正院町154間275.7曲尺手町西40間 東63間244.3
奈良屋町南67間 北76間255.7鍛冶町南21間 西6間 東37間 北37間273.7
〃  片町177間247.4赤沼町東13間 西33間95.1
御宮下町132間235.7八町目北53間 南48間214.8
    九町目北56間 南60間294.0
    十町目東68間 北26間 西66間394.1
    下新町一町目東61間 西50間186.2
    〃  二町目東54間 西38間146.6
    〃  三町目東62間 西45間166.7
    〃  四町目東48間 西64間205.6
    〃  五町目東54間 西39間146.6
    〃  六町目東57間 西53間1110.0
計 36町4334間900軒4.8計 44町4491間933軒4.8
「水戸上下御町丁数調書」より作成

寛文8年10月10日間口別家数一覧
表間口1間23456789101112131415161718不記合計
町名
吉田大工町東側     17           1 18
西側     17     3       20
吉田台町一町目東側  5  7  1          13
西側  4 35     2       14
吉田台町二町目東側  61261            16
西側 15114  2          14
吉田台町三町目東側  8  6  1  1       16
西側  12  6             18
藤柄町南側 25224             15
北側 331 2             9
上穀町    2 4131          11
裏一・二町目    4 2  3          9
紺屋町   6356324          29
本一町目  17  8  1  31      21
本二町目   7  12   2         21
江戸肴町  35133  2  1       18
裏三町目   11821 1   1       24
肴町  524 1 1           13
裏四町目肴町東側 311513  12         26
田中町東側  2311              16
西側 841822 1 1         36
檜物町   45131    1       15
本三町目     121 5 12      113
本四町目北側   1 5  2  1       9
南側  2  4  2  1       9
紙町  518235  11         35
裏五町目北側  1  4  1          6
南側  6  4             10
裏六町目北側  114 3             18
南側  7  3             10
塩町東側   4               4
西側   4               4
南側  4 1 1            6
本五町目北側  2 111 1  1  1    8
南側   115  1  1       9
本六町目北側    142 1          8
南側  5  6  1          12
白銀町   55 9 13          23
本七町目北側 115 16111          26
南側  13  51            19
裏七町目   159 41           130
曲尺手町  5147191 3          40
鍛冶町  16726112          26
八町目   41531 1           24
九町目  271224  1         230
十町目   27  6     1 1     35
下新町新舟渡   6 1172 2  4     1 33
   二町目   4  2111   4       31
   三町目   92 192 1  13       46
  40288131512722113446140111  24916
  4.431.414.35.629.72.3 4.8  4.4       100.0
「東市街人姓名録」より作成

元禄3年7月間口別家数一覧
表間口1間2345678910111213141516171819202122232425262737
町名
吉田大工町一町目東側     7  2                   9
西側     52    1                8
〃    二町目東側   1 10                      11
西側     10                      10
一町一乖院跡地新屋敷北側   1 3                      4
南側  41 3                      8
藤柄町北側  41312                     11
南側  2713123                   19
藤柄町坂下新屋敷東側  2126 1                    12
上穀町東側     2 21                   5
西側   1 2 1   1                5
裏一町目      2  2                   4
裏二町目    4    1                   5
本一町目北側     2     2      1         5
南側  2  3     1               17
本二町目北側  3  7   1                  11
南側  1  4  11 1                8
江戸肴町東側 213 2     1                9
西側 21 23  1                   9
肴町西側13111022 1   1        1       32
田中町  1678122 2                    47
檜物町  164121    1                16
本三町目     121 2 121 2             12
本四町目      8  1  4  1             14
紙町西側 714217 11                   33
裏四町目東側 29415  111                 24
本五町目北側  21271 3  2                18
本六町目   4 153 1     1           1 16
白銀町   37 71 2      1            21
曲尺手町東側 151 32 1                   13
西側  1  3  2                   6
鍛冶町北側     3                      3
南側  2 13 1                    7
東側 1 611                      9
八町目   31541  1                   24
九町目   71512 11                   27
十町目東側  17  2                      19
西側  14  6       1              21
下新町一町目   3 152 2  1     1          15
〃  二町目   8  61 2                   17
〃  三町目   7  8  1  2 1              19
〃  四町目   6  61 2  3                18
〃  五町目   6  71    11               16
〃  六町目   131 8  2                   24
135168943718619123632242241 11 1     11631
「東市街人姓名録」より作成

下町の町別家数表
 寛文8年元禄3年宝暦6年天保年間
吉田大工町38383539
吉田台町91(12)7382
藤柄町24423145
紺屋町29-2438
七軒町1110922
本一町目21121818
裏一町目(9)※423
江戸町18181522
本二町目21191528
裏二町目(9)※536
本三町目13121126
裏三町目24-1626
本四町目18142015
裏四町目26242015
檜物町15161519
清水町52473433
三軒町---10
肴町13321414
青物町35332931
本五町目17181826
裏五町目16-1319
本六町目20161330
裏六町目28-2028
塩町14-713
本七町目45-1832
裏七町目30-1627
材木町--1519
曲尺手町40191324
鍛冶町26191827
赤沼町--19
白銀町232120-
八町目24241721
九町目30272829
十町目35403739
下新町一町目110151518
〃  二町目17814
〃  三町目191316
〃  四町目181420
〃  五町目161914
〃  六町目242011
916631727933
※裏一,二町目はまとめて9軒とある
(寛文8年,元禄3年,宝永6年分は「東市街人姓名録」,天保年間分は「水戸上下御町丁数調書」により作成)

 以上のような町並みは、佐竹氏が城主であった時代から形成され、その必要に応じて大坂横宿・杉山・相坂・古宿・大町・中町・南町そして西町などの呼称が出来、あるいは宗教施設名の神先(崎寺)・宝鏡(院)・天徳(寺)・藤沢小路(山)が地名になるなど、土地の呼称が細分割されて多くなって来た。水戸徳川家も二代藩主光圀の頃になると、家臣が増加して藩の行政機構も完備し、城下町も拡大し複雑になった。そこで藩は、元禄三年(一六九〇)より城下統制の必要もあって、町区域の明確化、呼称の統一を始めた。それ以後も居住者の変化、道路の付替えなどがあって呼称その他が改められているため、現代では理解できないものがある。しかし、当時その命名には大きな意味があり、その起源は明白であった。広報の手段が不充分であった時代に、人びとにそれが地名として承認され、使用されて固定する最大の方法は、その意味が理解できることであったからだ。
 なお、元禄三年の改称町名は別表のようである。が、当時の城下町特有の防御のため開放的でない道路を表現する、横町とか袋町などの町名が多いことに注意する必要がある。この時には、橋や坂も町区域の目標物の一つとして呼称が統一された。その名も表示する通りであるが、水戸の地形を表現するように、〝上町坂で下町橋〟と言われる通りである。

明治10年ごろの大手門(茨城100年写真集より)


元禄三年の主な町名などの改称表
新名称旧名称・場所など
中三ノ丸鳥井瀬兵衛脇の町
銀杏町周防守前やらい御門より城所茂衛門前迄
柵町西柵町やらいより鍵堀見付迄
西柵町堀田市左衛門脇より下河辺軍蔵前迄
柵町横町城所茂衛門脇より遠山頼母脇迄 志摩殿屋敷後町
元白銀町小山修理前より駒井兵衛門前迄
裏南町伊藤太左衛門前の町
下梅香本間与衛門前より大石八太夫前迄
大坂町大坂より松井半六前迄 八幡坂より元虚空蔵跡迄の通り
上町曲尺手町草根九左衛門前より杉山喜蔵前迄南町より鷹匠町へ 入口高山殿脇町
釜神町伊屋木六左衛門前より市川与次兵衛元屋敷跡迄
天王前稲沢三郎衛門脇より向坂弥衛門脇迄
天王町島村十郎左衛門前より小原介衛門前迄 備前町
天王横町渡部喜助脇より市川翁助前迄 加治半衛殿町
荒木町荒町中通に有の横町 里見織部前通りより市川翁助前迄
藤山町藤山坂より荒町丁木戸迄 元愛宕横町
真願寺町大井武兵衛前より吉田作左衛門前迄 元真願寺町
裏真願寺町鵜殿藤九郎前より森与衛門前迄 荒町北裏町の片町
四木の辻五軒町と大井武兵衛殿町の間
与力町元真願寺屋敷前より五軒町坂の横町
五軒町三浦五郎太夫脇より村田友左衛門前迄
袋町斎藤治左衛門前町
袋二町目太多和次兵衛前町 新町へぬける町
袋三町目熊田九蔵前町
袋四町目加治平内前町
並松町小池七左衛門脇より新町桝形迄
新町の辻新町より元本行寺屋敷へ行く町 のち八幡町
向寺町元本行寺本法寺の大門前の町
向寺町後町本行寺本法寺蓮成寺などの寺内
元寺町元妙雲寺前
元寺町後白井四兵衛前通の町
消魂橋七軒町橋
三ツまた橋東川三之助前の橋
源五郎橋田中町入口町
どとめき橋石垣橋
搦手橋阿部七兵衛前橋
明神坂藤柄の坂
奈良屋坂下谷の坂
梅香坂大石八太夫脇の坂
鈴坂伊屋木六左衛門前の坂
太郎坂元妙雲寺前の坂
根本坂小野伝六脇坂
桜坂高尾前の坂