[[屋敷の所有状況]]

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 延宝八年(一六八〇)の戸数調査によると、城下で町屋は三二七六軒あり、その四八・五パーセントの一五八九軒は上町で、五一・五パーセントの一六八七軒が下町にあった。このうち屋敷持ちである正式の町人は町屋の四五・八パーセントの一四九九軒で、上町にはその四八・〇パーセントが居住し、それは上町町屋の四五・二パーセントの七一九軒であった。下町が商業活動の中心と言われるが、町屋の総数では上町より九八軒だけしか多くなく、屋敷持ちも五一・五パーセントで三パーセントしか上位にはなく、数字的には上下町屋の体制にはそれほど大きな支配や従属という力関係はなかったように思われる。
 なお、宝永六年(一七〇九)の下町三九町の町屋敷に関しては、「東市街人姓名録」の内に屋敷持、店借りの状況と居住者の職業を詳細に記した記録がある。これをもとに作成したものが「下町の屋敷持ちと店借りの割合」「下町の町人たち」「下町の町ごとの職業分類」などの諸表である。

「水府地理温故録」より


下町の各時代の表間口の割合
寛文8年元禄3年天保年間
間口
10.00.00.0
24.45.50.0
331.426.618.2
414.314.943.3
55.65.913.6
629.729.513.6
72.33.06.8
81.41.90.0
94.85.70.0
100.70.44.5
110.00.30.0
124.43.80.0
以上と不明1.02.50.0
合計(%)100.0100.0100.0
天保については「水戸上下御町丁数調書」で計算した平均間口を使用


「東市街人姓名録」(大洗町,加藤七郎氏所蔵)


延宝8年の城下の町屋
 屋敷持店借
上町7198701,589
下町7809071,687
1,4991,7773,276

 まず、屋敷の所有状況を検討すると、全体として居住屋敷の所有は四〇・八パーセントであるが、吉田大工町の七六・一パーセントから赤沼町や下新町二町目の一六・〇パーセントまで約六〇・〇パーセントの差がある。この表だけから結論はだせないが、本四・五町目より吉田方面にかけ屋敷所有者の割合が多く、それより下新町方面には借地や借家人である店借りが多い。それらが、実際の商業活動にどのような関係があるのか不明ではあるが、江戸街道沿いには自前の屋敷地で営業する者が多く、岩城街道沿いには借地借家に居住する者が多かったらしい。
下町の屋敷持と店借の数(宝永6年)
 屋敷持店借
吉田台町7360133
吉田大工町351146
藤柄町312556
紺屋町242448
七軒町91625
本一町目182543
裏一町目257
江戸町152035
本二町目153146
裏二町目3912
本三町目112738
裏三町目162541
本四町目201535
裏四町目202242
檜物町15924
田中町3497131
肴町141630
紙町293362
本五町目182846
裏五町目131427
本六町目132336
裏六町目203151
塩町71118
本七町目183149
裏七町目164763
材木町151833
曲尺手町133548
白銀町201737
鍛冶町183149
赤沼町156
八町目172845
九町目283563
十町目373976
下新町一町目152843
 〃 二町目84149
 〃 三町目133649
 〃 四町目143246
 〃 五町目192544
 〃 六町目203050
727 1,0551,782


下町の屋敷持と店借の割合図(宝永6年)