南町三丁目

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南町三丁目


裡南町(うらみなみまち)
 裡南町(以前は裏南町とも記した)に隣接する町は、東が黒羽根町、西が鷹匠町、南が藤沢小路、北が南町であった。
 ここは、はじめは伊藤太左衛門前の町と称していたが、元禄三年(一六九〇)に裏南町と改称された。南町の南裏にあたるため、中心道路を表とし、それと区別するために裏の名を用いたものである。
 この地は、寛永二年(一六二五)以後に武家屋敷となったところで、東西一四七間、南北五〇間に割られていた。ここに寛政九年(一七九七)には、一三軒の武家屋敷がかぞえられる。

天保期の南町,裏南町


 またこの地には、元禄年間に講釈所があって、ここで森儼塾(もりげんじゅく)らが藩士に学問を教授することを命ぜられていた。
 裏南町より西にあたって、南町より入り、西に折れて鷹匠町に至る草根九左衛門前より杉山喜蔵前までを、元禄三年に曲尺手(かぎのて)町と一時改称したが、その後廃止された。
 明治六年には第一大区第一小区に、同八年も第一大区第一小区に、同十五年には田見小路連合村に、同十七年には上市連合村に、同二十二年には水戸市裡南町となった。

明治42年の裡南町


 大正十五年には、この町に井戸の数が二一、昭和四年には二〇あった。
 裡南町は、昭和四十一年四月に南町二丁目、南町三丁目となった。