五軒町二丁目
五軒町(ごけんちょう)
五軒町(以前は金町裏町といった)に隣接する町は、東が鉄砲町・裡五軒町、西が藤坂町、南が泉町・荒木町・裡五軒町、北が上金町となっていた。
この町は、武蔵国八王子(東京都八王子市)の北条氏照の旧家臣たちが、元和年中に水戸徳川家に仕え、この地に住居をもらったために八王子町(はちおうじまち)と呼ばれていたが、その後町内に武家屋敷が五軒あったため、五軒町となった。五軒町は裏五軒町に対して表五軒町と呼ばれたこともあり、この一帯は水戸城下の中心的な武家屋敷地帯であった。
天和元年(一六八一)一月には、向町(後の向井町)の町家から出火して、この五軒町をはじめ新木町(後の下金町)、寺町、その他上町の大半を焼失するという大火があった。
その後、寛政九年(一七九七)には、ここに二八軒の武家屋敷がかぞえられ、同じころの城下図を見ると、木戸も描かれている。
天保期の五軒町,裡五軒町
明治六年には第二大区第一小区に、同八年には第一大区第一小区に、同十五年には信願寺町連合村に、同十七年には上市連合村に、同二十二年には水戸市五軒町となった。
大正十五年には、この町に井戸の数が二三、昭和四年には三五あった。
五軒町は、昭和四十二年六月に五軒町一丁目、五軒町二丁目、泉町二丁目となっており、この地には、昭和六十年三月まで市立五軒小学校があったが、旧警察学校跡地(金町三丁目)へ移転した。
裡五軒町(うらごけんちょう)
裡五軒町(以前は裏五軒町とも記された)は、もとは泉町裏町といったこともある。
武蔵国八王子(東京都八王子市)の北条の旧臣たちが、元和年中に水戸家に仕えて住居をもらった地を八王子町と呼んだことから、その裏にあたるこの地は裏八王子町と呼ばれた。その後八王子町が五軒町と変わったために、裏八王子町も裏五軒町と呼ばれるようになったという。
寛政ごろの城下図を見ると、ここには木戸が描かれている。
裡五軒町は二カ所見られ、一カ所は東が五軒町、西が藤坂町・信願寺町、南が荒木町・藤坂町、北が五軒町に隣接しているところであり、もう一カ所は、東が鉄砲町、西と北が五軒町、南が泉町に隣接しているところであった。
明治六年には第二大区第一小区に、同八年には第一大区第一小区に、同十五年には信願寺町連合村に、同十七年には上市連合村に、同二十二年には水戸市裡五軒町となった。
大正8年の五軒町,裡五軒町
大正十五年には、この町に井戸の数が二一、昭和四年には二七あった。
裡五軒町は、昭和四十二年六月に五軒町一丁目、五軒町二丁目、泉町一丁目、泉町二丁目、泉町三丁目となった。