金町一丁目
霞町(かすみちょう)
この地は、もとは常磐村であったが、昭和八年三月常磐村が水戸市に合併後水戸市風呂下(ふろのした)となり、翌九年五月二十日にその風呂下の一部から霞町が新設された。
風呂下は、大坂から青柳村の船渡へ通ずるところで、もと坂の中段に風呂があったためにその名が起こったといわれているが、風呂はフロで、ホロに通じホラげ・崖のことで、崖下を意味するとも思われる。
昭和九年には、この地に競馬場が出来た。コースは民有の畑地を借り、競馬場の真中は麦畑、菜の花が咲くというように田園風景豊かなものであった。総工費は四万九一〇四円であって、その資金は川崎貯蓄銀行から借り入れた。第一回は、同年五月一日から四日まで開催され、施行者の水戸市は、税外収入と商店街が潤うことを考えたが結局失敗に終わり、やがて県西の古河競馬場に身売りをしてしまった。
昭和9年の競馬場
競馬場(毎日新聞社水戸支局所蔵)
昭和十三年の六月と八月には那珂川上流地域で多量の降水があり、霞町をはじめ根本町などで洪水の被害を受けた。続いて、同十六年七月にも洪水の被害を受けている。
霞町に隣接する町は、西が根本町、南が田見小路・桜町・北三ノ丸で、北は那珂川であった。
霞町の南側の一部分は、昭和四十一年四月に北見町、金町一丁目、昭和四十二年六月に金町二丁目となり、北側の大部分は昭和四十六年五月に根本一丁目、根本二丁目となった。