大工町三丁目

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大工町三丁目


久保町(くぼちょう)
 久保町に隣接する町は、東は向井町、南は木ノ折町、西は東町、北は砂久保町であった。
 この地は土地が自然に低く、また北側には砂窪と呼ばれる所もあったため、窪町(くぼちょう)と呼ばれるようになった。後に久保町と文字が改められた。
 藩政時代の久保町は、東は向井町に接し、西は常葉村の地に界し、天保年間の「水戸上下御町丁数調書」によれば、久保町一丁目は南側が六六間、北側が五七間で、同二丁目は南側が五四間、北側が六三間あり、戸数は五四戸とある。この町の木戸は、馬口労町・向井町の木戸と共に水戸城下と村々との境をなすものであった。
 明治維新直後、この町に禄を失った水戸藩士族が大勢移り住んだこともあったが、その子孫はほとんど転出しており、現在までも続いている家は数が少ない。
 「水戸繁昌記」によると、日露戦争直後の頃はこの町で営業していた商店の数は少なく、米穀・肥料・雑穀類・塗物細工の店などがわずかであった。
 明治六年には第二大区第二小区に、同八年には第一大区第一小区に、同十五年には天王町連合村に、同十七年には上市連合村に、同二十二年には水戸市久保町となった。

明治42年の久保町


 大正十五年にはこの町に井戸の数が四二、昭和四年には四六あった。
 現在、この町の表通り国道五〇号は幅員が拡張され、両側に新しい商店街が形成されて来ており、その中には、市内中心部から移転して来た商店も幾つかある。
久保町は、昭和四十三年五月に大工町三丁目となった。

旧久保町 浄安寺入口(大工町2丁目)