昭和五十五年四月一日、水戸市役所より茨城歴史地理の会が、市内の地名・町名に関する記録保存のための調査を委託された。
それ以前、委託を受ける調査項目や内容の程度を関係者で検討し、そのための調査部会のメンバーをつぎのように決定した。県立水戸南高等学校教諭・大畑恒是、県立水戸第三高等学校教諭・石塚真、茨城高等学校教諭・根本広行そして県立水戸第一高等学校教諭・江原忠昭である。
二月二十二日に調査会の発会式を行ない、基本的スケジュールを確認し合った。三月二十一日には水戸市役所総務課において委託内容を確認し、文献カード作成と現地調査についての方法を決定した。第三回目は四月十二日に、市立常磐小学校教諭・外山彬をメンバーに加えて、それぞれが現地調査の結果を報告、それらをもとに執筆の要項を話し合った。このときには調査研究の分担も江原(全体相談・市域の拡大・城下町時代の水戸・小字名)、大畑(浜田地区)、石塚(三の丸地区・五軒地区の一部)、根本(新荘地区・五軒地区の一部)、外山(城東地区)とし、より進んだ資料の収集と整理をすることになった。
その後は毎月一・二回の調査研究会を開き、全員で各町の現地を確認したり、文献の検討を繰り返した。水戸の場合、城下町時代から現代までに、その地域社会が政治的経済的に大きく変化したこともあって、町が拡大しその内部区域にもいくらかの変遷はあった。三軒町や五軒町、袋町・菓物町・芦町・木町・渋田などはその様子を伝えている。このような町の変遷を明らかにすることによって初めて、水戸の歴史が追求できるものと思われる。
こうして、つぎのような執筆の分担で本書は出来た。
執 筆 一 覧
城下町時代の水戸 江原 忠昭
市域の拡大 〃
住居表示と町名・町区画合理化 〃
宮町一丁目、二丁目、三丁目 石塚 真
三の丸一丁目、二丁目 〃
南町一丁目、二丁目、三丁目 〃
大町一丁目、二丁目、三丁目 〃
北見町 〃
梅香一丁目 〃
梅香二丁目 〃
(大坂町) 江原 忠昭
泉町一丁目 根本 広行
泉町二丁目 〃
(荒木町) 石塚 真
泉町三丁目 根本 広行
備前町 根本 広行
(幸町) 石塚 真
天王町 根本 広行
五軒町一丁目、二丁目 石塚 真
五軒町三丁目 〃
(藤坂町) 根本 広行
金町一丁目、二丁目、三丁目 石塚 真
大工町一丁目、二丁目、三丁目 根本 広行
栄町一・二丁目 〃
八幡町 〃
常磐町一・二丁目 〃
元山町一・二丁目 〃
緑町一・二・三丁目 〃
新荘一丁目、二丁目、三丁目 〃
末広町一・二・三丁目 〃
松本町 〃
三の丸三丁目 石塚 真
柵町一・二・三丁目 外山 彬
(東青柳町) 大畑 恒是
城東一丁目、二丁目、三丁目、四丁目、五丁目 外山 彬
柳町一丁目、二丁目、 大畑 恒是
本町一丁目、二丁目、三丁目 〃
東台一丁目 〃
東台二丁目 外山 彬
(八町目) 大畑 恒是
東桜川 〃
白梅一・二・三・四丁目 〃
その他の町名 〃
市内の小字名 江原 忠昭
委託を受けながら充分な研究をすることはできなかったが、ようやく市内外の多数の人々に助けられ、報告書を提出することができた。一同、深く感謝をしている。なお、後筆ではあるがこの調査には、特に総務課が、文献収集や地図作成・写真撮影など全面的に援助してくれた。また、報告書が刊行できるようになったのは市長和田祐之介氏の御理解によるものであることを記して、お礼としたい。
ただ、どのような報告書を作ろうとも、現在と将来の市民に利用され、市民生活の充実のために活用されなくては意味がない。本書が多数の人々に読まれ、地域社会に役立ち多くの話題を提供できることを願っている。
昭和五十六年九月
代表 江原 忠昭