水府流水術協会会長――城東 戸祭勝夫さん(80歳)
今日のようにプールのない時代に育った私は、那珂川の水場で泳ぎを覚えました。戦前は川で泳ぐのが普通で、五百人から千人ほど泳げる水場が六か所あり、そこでは水府流水術という泳法のほか、船の漕ぎ方、飛び込み方、救助法などが教えられました。
弘道館の武道の一環として継承されてきた水府流水術には、川越・舟番・世話役・免許などの階級があり、その役によって被る手拭いの色や柄が区別されていました。指導には、「お礼奉公」と称して先輩たちがあたり、それらの人には報酬がわりに週一度「豚飯会」なるものが開かれ、大いに食い、談じたものです。これは生涯の思い出となっています。昇級のための関門の一つに、岸から岸へ往復三十回以上約三時間も休みなく泳ぎ続けるという試験がありました。途中で立ったり、物につかまったらおしまいですので、命がけの真剣勝負。人間の限界を試された貴重な経験でした。