天皇行幸の思い出

きもの講師――五軒町 倉田節子さん(54歳)
 昭和二十一年十一月、当時、私は小学六年生。校舎が焼けてしまったため三七部隊の兵舎(現在の茨城大学)に通学していました。そんなある日、担任の先生から「天皇陛下が視察にいらっしゃいますので、服装をきちんとして来るように。もしお声を掛けられたら、はっきりと答えてください」という話があり、神様と思っていたお方がおいでになるというので大変びっくりした記憶があります。
 数日後、児童と教職員全員が校庭に整列。新聞でしかお目にかかったことのない陛下のお姿が間近に迫り、私の前で立ち止まりました。そして、もの静かな口調で「お家はだいじょうぶでしたか」とお聞きになったのです。「焼けました。でも、家族は無事でした」と答えますと、「一生懸命勉強して、立派な日本人になってください」と優しい言葉を掛けてくださいました。
 その心づかいが幼な心にもうれしくて、四十余年を過ぎた今でも、胸の奥に残っています。